途上で知人に逢ったら、あいさつをする。これは常識である。見て見ぬふりをするのは、なにか不義理があるか、喧嘩相手かである。その際に、どういうことばで、どういう仕草であいさつするかは、時と場合で異なるし、相手の出方にもよるし、こちらの気分にもよる。また、そんな個人的な事情でなく、世の中の動き、景気不景気にも影響されるだろう。
また、非常に大切なのは、相手との上下関係である。これに男女関係も一種の上下関係として組み込まれて、複雑な敬語の問題が加わってくる。敬語についてはあとで述べるが、あいさつと密着して、選択の基準の一つとなっている。
あいさつ語の範囲を拡大すると、罵語、俗語、隠語、方言なども落すことができない。確かに罵語というものは品の悪い言葉だが、時には愛情表現にも衣替えする。親しい友人に「おまえ」と言っても、それは親しみの言葉となろう。そのほか、年中行事、書簡文にはあいさつが欠かせない。あいさつを分類すると、相互に絡み合い一筋縄では納まらないので、奥山益朗(2001)は極めておおざっぱに、常識的な線で以下の分類を試みた。
あいさつの第一は、日常生活である。この範囲は非常に広くて、ざっと分けて家庭の中と外とに区別できる。朝起きたら「おはよう」、外出するときには「行ってまいります」、帰ってきたら「ただいま」、食事のときは「いただきます」「ごちそうさま」、寝るときは「お休みなさい」といった類が家庭の中の日常のあいさつである。一方家庭の外でも、朝初めて会った人には「おはようございます」と、家庭の中と同じあいさつをするが、昼ごろ会えば「こんにちは」、夕方なら「こんばんは」となる。家庭内で使わぬあいさつである。
あいさつの第二は、敬語との絡み合いである。これはずいぶん面倒な問題で、初対面の人に、どういうことばであいさつするか、それはなかなか難しいことである。通常「はじめまして」ですませるが、その態度が難しい。名刺を交換する習慣が根強く広がっているのは、初対面の折、自分の地位身分を明らかにして、あとに続く敬語の基準にもなるからだろう。また、敬語との関係で、いわゆる晴れのことばもここに加えた。晴れのことばの代表的なものといえば、まず結婚式と葬式である。結婚については、結納から挙式、披露宴、ついでに出産まで、葬式は死んでから納骨までいろいろある。
あいさつの第三に、呼び掛けと応答を入れた。元来、「おいおい」だの「もしもし」、これに対して「はい」とか「なに」とかいう受け答えは、あいさつ語としてはもっとも原始的である。呼び掛け語は、どの国語にもあることだが、日本語の場合極めて多彩である。「あのー、このケーキください」「もしもし、あなたの定期券は期限切れですよ」「ちょっと、ちょっと、ビール」などの「あのー」「もしもし」「ちょっと」はみな呼び掛けで、しかも十分内容を伴っているのである。
四番目に職業的なあいさつを加えた。この中にはことに近年非常にふえた、スピーカを使ったアナウンスを加えた。アナウンスは話し手と聞き手の間に隔りがあって、しかも聞き手は不特定多数であるという特殊事情がある。ある聞き手にはおかしくなくても、他の聞き手には不快に聞こえるというような実態は、常に起こることである。これに加えて、いわゆる接客語を入れた。デパートなどで新入社員に厳しく教え込むそうだが、個性のないあいさつの典型である。
五番目に、やや懐古趣味になってしまったが、呼び売りの声を入れた。これはアナウンスの一つであったのだろうが、現代のアナウンスと異なって、情緒豊かなものが多い。幸いにも、キングレコードにいい録音があったので、利用させていただいた。
六番目に、人称、呼称を入れた。おびただしい数の人称が日本語にはある。「おとうさん」ひとつにも「ちゃん」「おとっつぁん」から「パパ」に至るまで、十もあるだろうか。しかも、こんなにたくさんある人称も、代名詞としてことばの中に入れることは、英語などに比べたらずっと少ない。英語のIもYOUもたいてい抜けていて、あとに続くことばで人称を判断するほかない。そんなわけで、人称をあいさつの仲間入りしてもらったわけである。例えば、会社の先輩で、現役中ひどく傲慢な人がいて、後輩のことを「~君」と呼び、にこりともせず用を言いつける。その人が定年後会社へ来て、昔の後輩に所要がある時、「~さん」といって、にこにこして話しかける。「君」でも「さん」でもいいが、現役時代の傲慢ぶりと比べて、実にいやな気分がするものである。人の呼び方一つでも、このように、その人らしい言い方があるものである。どういうのがいいとか悪いとかいう話し方教室ではないが、できれば相手の身になって話すというのが、あいさつの根本であろう。そして、これが人間関係をなめらかにする方法だと思う。
免责声明:以上内容源自网络,版权归原作者所有,如有侵犯您的原创版权请告知,我们将尽快删除相关内容。