八十年代から、あいさつに関する著書や論文が次々と発表された。
1.『あいさつの言語学』(『言語』特集1981)
『あいさつの言語学』(『言語』特集1981)には、以下の5本研究論文が載っている。
(1)「あいさつの言語学」(比嘉正範)
(2)「あいさつの文化人類学」(藤崎康彦)
(3)「あいさつの生態学」(石垣幸雄)
(4)「あいさつの民俗学」(大島建彦)
(5)「あいさつー出会いの儀式化」(日高敏隆·新妻昭夫)
なかに比嘉(1981)はあいさつの定義、あいさつの動機と社会性、表現の構造を概観し、実証的研究の問題を取り上げたので、注目を引いている。
2.『あいさつと言語』(『「ことば」シリーズ15』1981文化庁編)
『あいさつと言語』(『「ことば」シリーズ15』1981文化庁編)には、以下の研究論文が載っている
(1)「『あいさつ』とは何か」(鈴木孝夫)
鈴木の論文では「あいさつとは何か」という、あいさつの本質論を展開してみた。あいさつという言語行動は、人間の非言語的な行動様式と組み合わせとなっていて、理性的な活動というよりむしろ本能的。動物的な要求にこたえる行動様式の側面が強いことを明らかにした。個別の文化や時代を越えて、人間という社会的動物が集団の保持と結束を固めるための手段として、あいさつがどのような機能を果たし、いかなる性質を持っているものかの一端を示し得たと思っている。
(2)「あいさつの言葉と身振り」(杉戸清樹)
杉戸の論文では、日常生活の一部の場面をおける、あいさつの言葉と身振りをその「定型性」に焦点を合わせて見てきた。定型といえば、ともすれば心のこもらぬ、陳腐な決まり文句を連想する。家族に不幸のあった人へのあいさつの言葉について述べたように、心からの慰め、励ますためには、その意味での定型は排除し、積極的に「場にふさわしいあいさつ」を求めなくてはならない。しかし、それ以外の、文字どおりの日常生活場面において求められるのは、ぎくしゃくしない人間関係をうみだし、それを継続させるあいさつである。比喩的に言えば、人間関係の潤滑油としてのあいさつである。日常的な場面においてそれらが多く現れていたことを見直せば、定型化した言葉や身振りこそ、むしろこのようなあいさつにはふさわしい、すくなくともそう意識している人が多いと考えなければならないはずである。さらに、この定型性は、言葉や身振りの形式について問題になるばかりでなく、いつ、だれ、どんな人に、どんな内容のことをあいさつとして発するかなど、あいさつの行動様式全体にわたっての問題ともなっていく事柄である。
(3)「あいさつ言葉の地域差」(真田信治)
真田の論文では、「おはようございます」、「御精が出ますね」、「ごめんください(こんにちは)」、「こんばんは」、「ありがとうございます」のあいさつ言葉を取り上げて、それぞれの方言の実態を概観する。
3.『日本語学』特集『あいさつ言葉』(1985)
1985年の『日本語学』特集『あいさつ言葉』には、8本の論文で特集が組まれる。「あいさつ言葉の原理」(野元菊雄)、「あいさつとあいさつ言葉」(比嘉正範)、「日本語のあいさつ言葉の順序性」(甲斐睦朗)、「あいさつ言語行動分析の観点」(沖久雄)、「あいさつ言葉と方言―地域性と場面性」(真田信治)、「日·朝·中·英のあいさつ言葉」(奥津敬一郎·沼田善子)、「外国人の日本語行動―会話のオープニングストラテジー」(田中望)、「あいさつ言葉の歴史」(前田富祺)がある。
(1)「あいさつ言葉の原理」(野元菊雄)は、まず、あいさつの定義とあいさつの原理について述べ、すなわち「親しみ」と「敬意」を表すあいさつは根元的に弱者の行為であり、あいさつは弱者の方が先にするものであるというのだ。それから、あいさつの言葉の原理について、鈴木(1968)のあいさつの分類に基づいて、詳しく分析した。
(2)「あいさつとあいさつ言葉」(比嘉正範)は、あいさつの動機と相手を述べた上で、日本語のあいさつ言葉の長さについて説明している。現代の日本語のあいさつの言葉は人工的に標準化された言葉だと言われている。いわゆる標準語の励行とともに標準化されたあいさつの言葉は学校教育を通して国民に教えられた。現在では、標準語励行は特に叫ばれなくなったが、標準化されたあいさつの教育は小学校の道徳の時間などで正規に行われている。標準化されたあいさつや集団で教えられるあいさつは儀礼的になりがちであり、このことが日本語のあいさつの言葉を不便で不安定なものにしている。不便な点は仲間で使える親しみをこめたあいさつ語がないということである。あいさつの言葉を標準化したときに、儀礼語と仲間語の両方を「制定」すべきであったのかもしれない。日本人社会におけるあいさつの言葉の不安定な点は、特に若い人たちが短くて使いやすい新しい仲間語としてのあいさつ語を使い始めたことが示している。この現象は、いわゆる標準日本語のあいさつの言葉が未発達であることを意味する。日本語に敬語と仲間語があるように、あいさつの言葉にも儀礼語のほかに標準的な仲間語ができていくものと思われる。それができるまでは、あいさつの言葉の不安定状態は続くであろうと述べていた。
(3)「日本語のあいさつ言葉の順序性」(甲斐睦朗)では、さまざまな分析観点を取り上げ、会話の中におけるあいさつ言葉の順序性、祝詞に認められるあいさつの性格、あいさつ言葉と手紙形式の相関関連を論じ、以下の分類に整理した。
Ⅰ出会い·別れのあいさつ
①路上などでの出会い·別れ
②自家の出入り·見送り
③他家の訪問·辞去
④起床·就寝
Ⅱ受容·感謝·祝福など
⑤仕事の依頼·感謝
⑥食事
⑦安否の尋問·祝福
⑧慰安·激励·弔問など
(4)「あいさつ言語行動分析の観点」(沖久雄)では、「あいさつ」と呼ばれる言語現象をどの範囲で捉えるかという問題を取り上げ、あいさつ言葉の分析観点、「あいさつ言語行動」生成のモデルについて論じられている。(5)「あいさつ言葉と方言―地域性と場面性」(真田信治)では、方言におけるあいさつ言葉の資料、「訪問時のあいさつ」の場合、表現のバリアントと場面さ、あいさつ行動の地域差に関するコメントの四つの方面から論じていた。
(6)「日·朝·中·英のあいさつ言葉」(奥津敬一郎·沼田善子)は多国のあいさつ言葉についての比較研究なので、後述の「対照研究」のところで詳しく説明したい。ここでは、省略する。
(7)「外国人の日本語行動―会話のオープニングストラテジー」(田中望)では、外国人の日本語による口頭コミュニケーションの実態を把握するために、録音調査の方法で行った結果が報告されている。
(8)「あいさつ言葉の歴史」(前田富祺)では、論文テーマのように、古代、中古、中世、近世、近代·現代の順に基づき、あいさつ言葉の歴史を説明した。
4.ほか
以上の著書の以外に、論文として、「あいさつにおける言語行動と非言語行動の日米比較」(東山安子ローラ·フォード1981『言語』増刊)、「現代日本語のあいさつ言葉について」(甲斐睦朗1985『国語国文学報』42)なども、代表的な研究として挙げることができよう。
東山(1981)は後述の「対照研究」のところで詳しく説明したい。ここでは、省略する。
甲斐(1985)では、まず1985年までのあいさつについての先行研究について分野ごとに紹介した。それからあいさつ言葉の分類、「おはようございます」、「こんにちは」、「こんばんは」、「お休みなさい」、「ありがとうございます」のあいさつ言葉の分析をした。また、「どうも」の代用の問題も取り上げた。
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