1.お詫びに関する研究
主に以下の論文が掲載されているが、第二部分に詳しく紹介する。
11..11『謝罪の言葉』(『日本語学』特集19931993)
(1)「研究対象としての謝罪―いくつかの切り口についてー」(熊谷智子)
(2)「謝罪の対照研究―日米対照研究―faceという視点からの一考察」(池田理恵子)
(3)「謝罪の対照研究―日タイ対照研究―」(堀江·インカピロム·プリヤー)
(4)「謝罪の対照研究―日朝対照研究―」(生越まりこ)
(5)「日本語教育における謝罪の扱い」(中道真木男·土井真美)
(6)「謝罪の対照研究―日朝対照研究―」(生越まりこ)
(7)「企業小説にみる謝罪表現」(甲斐睦朗)
11..22ほかの論文
(1)「日本語の詫びのあいさつことば女子学生の言語生活における談話資料をもとにして」(住田幾子1992『日本文学研究』28梅光女学園大学)
(2)「『詫び』以外で使われる詫び表現その多用化の実態とウチ·ソト·ヨソの関係」(三宅和子1994『日本語教育』82日本語教育学会)
2.お礼に関する研究
ここには、主に以下の論文が掲載されているが、詳しい紹介は本論の参考になったものに絞りたい。
22..11『感謝の言葉』(『日本語学』特集19941994)
(1)「感謝の対照研究―日英対照研究―文化·社会を反映する言語行動」(三宅和子)
三宅は日本人とイギリス人の言語調査を通して、それぞれの文化·社会の規範に大きく影響を受けている感謝の言語行動の諸相を観た。「感謝する」現象は日英双方に見られても、その言語行動はさまざまなレベルで異なる。異なりの要素は、「借り」の有無や大小に対する考え方、相手との上下·親疎関係、話し手の性などさまざまであり、それらが複雑に作用し合って言語行動の違いとして表出しているのであると述べた。
(2)「感謝の対照研究―日朝対照研究―」(生越まりこ)
生越は日本語と朝鮮語を比べながら考察した結果、「感謝」は朝鮮語では目上に向かって、日本語では「ウチ」の関係にある者に向かって、なされる傾向が強いと言える。また、日本語の「感謝」は「謝罪」と表裏の関係をなしているが、朝鮮語では「慰労」と密接に関係していると論じた。
(3)「日本語教育における感謝の扱い」(中道真木男·土井真美)
中道·土井はまず言語行動の構造を「課題(タスク)」、「方略(ストラテジー)」、「単位方略(タクティクス)」という枠組みにし、その枠組みを用いて、日本語教材における感謝の扱いを分析した。
(4)「お礼に何を申しましょう?——お礼の言語行動についての定型表現―」(杉戸清樹)
杉戸は、お礼の言語行動の諸側面に言及するメタ言語表現の広がりを限られた範囲ながらも検討し、お礼という言語行動に際してわれわれが何を気にしているのかを考える手がかりを示してくれた。
(5)「発話行為としての感謝―適切性条件、表現ストラテジー、談話機能―」(熊取谷哲夫)
熊取谷は発話行為理論に基づき、「感謝」を発話内行為として捉え、その適切性条件と「感謝」の表現ストラテジーを考えた。さらに、当該発話行為をより広く、深く理解するためには、これを単独に存在する発話行為としてではなく、社会的相互作用の中に生起する談話行動として捉える必要性があることを示した。
22..22ほかの論文
「日本語における『感謝』の談話構造と表現配列——『すみません』と『ありがとう』の場合」(熊取谷哲夫1991『広島大学日本語教育学科紀要』4)。
ここでは日本語における感謝のやりとりについて、その談話構造と併用現象について考察してきた。明らかになったのは、ある発話行為の遂行に用いられる表現と機能の解明には社会的相互行為というより大きなコンテキストの中でこれを分析することが必要であるというであった。「すみません」と「ありがとう」の併用現象をこのようなコンテキストで捉えることにより、その背後には二種類の言語運用上の動機が存在する可能性が明らかになった。一つは、円満な対人関係の創造·保持という動機であり、もう一つは談話を完結させようとする動機である。感謝のやり取りでは、前者が不均衡修復という形をとり、後者が談話終結標識という形を取ると論じた。
3.お詫びとお礼の両方に関する研究
(1)「お礼をお詫び——関係修復のシステムとして」(森山卓郎1999『国文学』44·6)
森山はまず関係修復の流れについてのべ、何の関係も発生していない平衡関係である初期状態から、不均衡事態が生ずる。すなわち、話し手が聞き手に害を与えるか、話し手が聞き手から利益を得るという事態が発生する。そこで、話し手は、聞き手との関係を認定し、また、聞き手へ自分の不均衡修復の意図およびその気持ちを表明する。こうして言語化されることにより、不均衡関係は顕在化し、修復への歩みが始まる。さらに関係修復のモデルと呼べる。それから、お礼とお詫びの表現、その応答、ねぎらいと共感的あいさつなどについて論じた。
(2)「感謝の意味で使われる詫び表現の選択メカニズム:Coulmas(1981)のindebtedness「借り」の概念からの社会言語的展開」(三宅和子1993筑波大学留学生教育センター日本語教育論集8)
三宅は「感謝」と「詫び」の言語行動に潜む心理的接点と言語表現の関係を探った。理論的背景としてこれまでの研究を概観し、Coulmas(1981)の“indebtedness”「借り」の概念と結びつけて「利益」「負担」」「借り」などの感覚が「感謝」と「詫び」の言語表現選択の重要な役割を担っていると考えた。そして、これらのキーワードを手がかりに作成したアンケート調査から、日本語の詫び表現が感謝の意味で使われる現象の解明を試みた。結論として、相手の負担の軽重、自分の利益の大小、借りの有無などが詫び表現選択に大きな役割を果たすものの、それ以上に重要な要素として、相手との上下関係、親疎関係があることが分かったと述べた。
(3)「日本人若年層の〈感謝〉と〈詫び〉のあいさつの表現のアンケート調査とその考察—高年層と比較して」(金英美1994国語学研究33東北大学文学部国語研究刊行会)
金は日本人若年層における感謝と詫びのあいさつ表現について、意味別、程度別、そして相手別による使い分けを軸に、高年層と比較し、若年層の実態、特色を考察したものである。その結果、若年層は高年層と比べ、感謝と詫びの程度が高くなるほど、また相手に負担や迷惑をかけるほど副詞をより多く用いる傾向があることが明らかになった。なお、このことも含め、若年層も場に応じてかなり丁寧な表現を使い分けていること、及び高年層、若年層ともに感謝の程度が高くなると詫びの表現形式を用いる傾向のあることも指摘できると述べた。
4.人称、呼称に関する研究
日本語の「親族呼称」に関する研究は20世紀70年代以前は、主に親族名称の構成の方面に留まっているが、70年代に入り、海外の社会言語学[1]の導入に伴って、「呼称」についての研究も注目を浴びられている。その本格的な研究は鈴木孝夫(1973年)に端を発すると言ってもよい。80年代に入り、米田正人氏は「夫婦の呼び方」について言語学の角度から論述した。80年代の末から、研究が多くなり、代表的な研究者としては、洪晨晖(1989年)、国広哲弥(1990年)、渡辺友左(1998年)、郑丽芸(1999年)などが挙げられる。さらに、21世紀に入り、新しい研究方法の導入によって、この方面の研究が数多くなり、孙成岗,吴宏(2001年)、方经民(2001年)、孙惠俊(2002年)、吴辉(2003年)、王维贞(2004年)など、いろいろの側面から研究されている。以下はその代表的な研究についてまとめようとする。
(1)鈴木孝夫の研究
鈴木孝夫(すずきたかお)は、言語学者·評論家であり、慶応義塾大学名誉教授、杏林大学名誉教授でもある。1950年、慶応義塾大学文学部英文科を卒業した。専攻は言語社会学であるが、英語公用化論、地球環境論などについても積極的に発言している。英語帝国主義批判の主要な論客として知られる。
鈴木孝夫氏(1973年)は『言葉と文化』という著書の中に、社会言語学の立場から、日本語の親族呼称の具体的な使い方を論じ、親族呼称を自称詞、対称詞に分けて分析研究した。高橋みな子氏は鈴木孝夫氏が言語文化論という分野の研究について「言語と社会とのかかわりに多少なりとも興味を持つものにとって、鈴木孝夫氏の『言葉と文化』が極めて示唆に富み、知的興奮を与える本であることは、多くの人が認めている」と高く評価した[2]。
鈴木孝夫氏は自称詞と対称詞の概念及び使用上の四つの規則を提出した。
まず、自称詞と対称詞の概念である。
自称詞とは、話し手が自分自身に言及する言葉のすべてを総括する概念である。対称詞とは、話の相手に言及する言葉の総称であるが、これはやや性質の異なった二種の用法が含まれる。第一は呼格的用法(vocative use)と呼ばれるもので、相手の注意を惹きたいときや、相手に感情的に訴えたい場合などに用いられる。第二のタイプは欧米の一部の人類学者によって、代名詞的用法(pronominaluse)と呼ばれているもので、ある文の主語または目的語として用いられた言葉が、内容的には相手を指している場合を言う。例えば、子供が母親に腹を立てたとき、「お母さんなんて嫌い」と言う。この「お母さん」がここに言う代名詞的な用法の対称詞である。
つぎ、四つの規則である。
(1.1)自称詞と対称詞の使用規則
鈴木孝夫氏は自称詞と対称詞の使用規則に関して、かなり整然とした規則を明らかにまとめた。この規則を基本的に支えているものは、目上(上位者)と目下(下位者)という対立概念である。それに、氏は次の図1-1を作った。
A.話し手(自己)は目上目下[3]の分割線の上に位する親族に、人称代名詞を使って呼びかけたり、直接に言及したリすることはできない。これと反対に、分割線より下の親族にはすべて人称代名詞で呼びかけたり、言及したりできる。
B.話し手は分割線より上の人を普通は親族名称で呼ぶ。しかし、分割線より下の者に親族名称で呼びかけることはできない。
図1-1自称詞と対称詞の使用規則
C.話し手は分割線より上の者を名前だけで直接呼ぶことはできない。これに対し、分割線より下の者は名前だけで呼ぶことができる。
D.話し手は分割線より上の者に対して、自分を名前で称することは可能であるが、分割線より下の者に対してはこれを行わない。
E.話し手は分割線の下に位する者を相手とするときは、自分を相手の立場から見た親族名称で言うことができるが、分割線より上の者に対してはそれができない。
以上述べたA、B、Cは対称詞に関する規則であり、D、Eは自称詞に関するものであるが、この五つの原則はすべて目上と目下の分割線と合致し、親族成員の対話における自称と対称についての使用規則を構成しているのである。
(1.2)親族呼称の子供中心規則
氏はいろいろな例[4]を考察した結果、次のような規則が存在することを指摘した。
A.日本の家族内で、目上の者が目下の者に直接話しかけるときは、家族の最年少者の立場から、その相手を見た親族名称を使って呼びかけることができる。
B.目上の者が目下の者を相手として話すとき、話しの中で目上が言及する人物が相手より目上の親族である場合に、話し手はこの人物を自分の立場から直接とらえないで、相手つまり目下の立場から言語的に把握する。
Aの実例としては、次の例が挙げられた。
日本の多くの母親が、自分の子供の年上の方を、「おにいちゃん」とか「おねえちゃん」と呼ぶ習慣がある。母親は、この場合も相手を直接自分の立場から見ることをせず、年下の子供の立場を迂回して間接に捉えようとする。子供の年下の方(弟か妹)は、年上の者を兄または姉の概念を含む言葉で呼ぶ。そこで、母親も、当の相手を「おにいちゃん」、「おねえちゃん」と称することになるのである。
Bの実例としては、円地文子の『女坂』の中で、白川倫という名の女主人公が、秘書役をつとめる甥に対して、自分の夫を叔父様と称しているところを見てみよう。
「どうもありがとう。このごろはお前さんに書いてもらえるんで大きに楽ができる。こういう書面は女の私ではどうにもならないし、叔父様(白川のこと)はこんな面倒なことは一切お嫌いだから…」
(1.3)非親族者の呼称規則
非親族者の呼称規則いわゆる家族外の社会状況における呼称の使用規則である。氏は次の三つの原則をまとめた。
A.普通の状況下では、自分の先生や上役を「あなた」のように人称代名詞で呼ぶことはできない。反対に課長が部下に対し「きみの奥さんよくなったかね」と尋ねることは許される。
B.社会的に目上の人を、先生とか課長といった地位名称で呼ぶことは普通である。しかし、先生は生徒を「おい生徒」と呼ぶことができない。
C.名前(姓)の使用に関しても、上下の分割線はよく守られている。先生や上役を姓だけで呼ぶのは、かなり珍しいケースで、名前を使うときは「田中先生」とか「山田課長」のように地位名称を付加しなければならない。
(1.4)親族名称の虚構的用法の規則
実際には血縁関係のない他人に対し、親族名称を使って呼びかけることを、人類学では親族名称の「虚構的用法(fictiveuse)」と言っている。この用法の中には二つの原則が含まれる。
A.虚構的用法の一般原則である。話し手が自分自身を原点として、相手がもし親族だったら、自分の何に相当するかを考え、その関係にふさわしい親族名称を対称詞、または自称詞に選んで呼ぶのは親族呼称の「虚構的用法」と言われる。例えば、若い人は他人である老人に対し、「おじいさん」「おばあさん」と呼びかけたり、中年の男を「おじさん」と言ったりする。
B.第二の虚構的用法原則である。日本の家族間の対話を、更に詳しく観察してみると、日本人は聞きなれた使い方であるが、外国人などには奇妙きわまりないものとして受け取られるような親族名称の使い方があることが分かる。例えば、母親が自分の子を「おにいちゃん」と言ったり、父親が自分の父のことを「お父さん」と言わず、「おじいさん」と呼んだりするのがそれである。ここに挙げた例に見られる親族名称の使い方を、「虚構的用法の第二種」と呼ぶ。この用法は話し手と相手の間の親族関係を、話し手が使う言葉が正しく反映していないという意味では、他人の子供に対し自分のことを「おじさん」「おじいさん」と称する本来の虚構的用法と合致している。しかし、自分の夫を、父の概念を含む言葉で呼んだり、娘に姉の概念を含む言葉で話しかけたりする場合の虚構性は、血の繋がらない相手に、つながりを想定するという単純な虚構性とは全く内容の異なるものであると指摘した。
鈴木氏の研究方法論は以後の研究に基礎を築いた。
(2)洪晨晖の研究
北京外国語学院日本語学研究センターの洪晨晖氏(1994年)は日中両語の自称詞、他称詞の用法を比較し、両者の共通点と相違点を探り、それぞれの自称詞、他称詞の使い分けがどのように両国の社会性を反映しているかについて考察し、「日本語と中国語における自称詞、対称詞の使い分けの実態」という論文を発表した。洪氏は主に両国の家族内の人と対話するときに使う自称詞、他称詞と家族外の人に使う自称詞、他称詞という二つの面から論述した。そして、次の結果を得た。
(2.1)日本人が家族の人と対話する時に使う自称詞、対称詞は中国人の使う自称詞、他称詞とかなり違う。まず、日本語には、男女の差があることは明らかであるが、中国語には、男性用語とか女性用語の区別が顕著していない。また、子供に対するとき、日本人は子供がどんなに大きくなっても、自分のことを親族名で言ったり、子供のことを固有名で言ったりする。これに対して、中国人の子供に対する自称詞、対称詞の用法の変容はむしろ英語に近いと言える。
(2.2)家族以外の人と対話する時に使う自称詞、他称詞は、日本語では、男性用語と女性用語とがかなりはっきり区別されているため、話し手が男性か、女性か、話し相手が男性か、女性かによって言葉の表現が変わってくる。中国語にはそういうような区別がない。男女とも同じ表現を用いる。また、日本語では、親疎関係、上下関係を言葉によって明らかに区分することができるが、中国語では、言葉によって、そうした人間関係をはっきり表すことができないという実態を述べた。
(3)国広哲弥の研究
国広哲弥氏(1990年)は「私の呼称論――呼称の諸問題」という論文の中に、「呼称」という名称は英語の‘addressform[term]’の訳語として日本語に導入されたものと考えられ、「話し相手に直接に呼びかけたり、言及したりする語」を持つものと解される。
さらに、呼称という名称及び親族名称の虚構的用法に見られる敬語性、また呼称語の離散性と人間関係の連続性の三つの角度から述べている。本論文と関係のある二点を抽出する。
(3.1)「呼称」という名称
「呼称」は話し相手に直接に呼びかけたり、言及したりする語だと解明される。具体的には、固有名詞、代名詞、親族名称、称号、接尾辞、職業名、役職名などである。「呼称」という名称は従来用いられず、代わりに「呼びかけ(語)」が見られた[5]。「呼称」が『日本語学』で特集の名前として取り上げられたことは、この名称の日本語学界における定着の大きな一歩と見ることができる。この呼称という現象自体が日本語学では従来あまり注意が払われてこなかったものであり、海外の社会言語学の導入に伴ってこの概念も名称も注目を浴びるようになったと国広哲弥氏が論述している。
(3.2)親族名称の虚構的用法に見られる敬語性
鈴木孝夫氏は親族名称の虚構用法に第一の虚構用法(親族以外の人々に使う親族名称)と第二の虚構用法(同じ家族内で妻が夫を「パパ、お父さん」と呼んだり、子供が父親を「おじいちゃん」と呼ぶ用法)があると指摘したが、国広哲弥氏はこの二つの用法は実際に一種の敬語の表現であると指摘した。第一の虚構用法は、親族以外の人々を仮に親族だったら、どういう呼称で呼ぶのかいいかという用法であるが、つまり、親族でない人に親族のように扱うことは一種の敬語だと述べている。それから、第二の虚構用法である。夫を「パパ」と呼んだり、実の娘が孫を生んだら、「ママ」と呼ぶのは、軽い敬意を込めているのである。孫が生まれると、「パパ」が「おじいさん」に昇格するのは、敬意性が高いほどよいためであり、年齢的に上の世代ほどその親族名称に含まれる敬意性は高いのである。
(4)夫婦間の呼称に関する研究
夫婦の呼称については、いつの世でも人々の興味を惹くもののようで、これらに関するアンケート調査もたびたび行われている。代表的な研究者は米田正人氏(1986年)と赤坂和雄氏(1997年)である。
米田正人氏は配偶者間の呼びかけについて考察し、「ある社会組織の中の呼称——夫婦の呼び方と職場での呼び方について」という論文を発表した。米田氏は渡辺友左氏が昭和38年に行った調査(被調査者数105名)と米田正人氏本人の昭和61年に行った調査(被調査者数185名)を中心に、またNHKが昭和54年に行った調査(被調査者数3600名)を参考し、夫婦の呼び方の実態について論述した。論文は夫または妻に呼びかけるときの言い方を述べていた。
渡辺調査と米田調査の両調査とも、夫が妻を、「おかあさん」、「ママ」などの母称が過半数を占めていて、その母称の中では、「おかあさん」のほうが「ママ」より圧倒的に多くなっている。NHK調査も同様の傾向を示しているが、被調査者に高齢者が多いということで、「おばあちゃん」という呼称が多くなっているのが目立つ。逆に妻が夫を呼ぶ時は家族の前では「父称」が77%と大多数を占めている。二人だけの場面になると、「父称」が41%と減少し、代わって「応答詞」が22%、「名前」が19%、「対称代名詞」が16%となるという結果が出てきた。
(5)家族外の親族呼称の転用に関する研究
家族外の親族呼称の転用に関しては、「知り合い」の場合と「見知らぬ者同士」の場合に分けられる。先行研究は主に林炫清氏が2000年2月に行った調査(以下では「林炫清調査」ということにする。被調査者数104名)と薛鳴氏が2000年3月に行った調査(以下では「薛鳴調査」ということにする。被調査者数67名)を中心にする。
林炫清氏の調査によると、既知の人に対する呼称使用の実態を概観すると、日本人は相手が自分より年上か年下かに関係なく、「実名愛称」で相手を呼びかける傾向が強い。一方、見知らぬ人に対する呼びかけの際の表現を概観すると、年齢の上下に関係なく、日本語では「すみません」、「あのう」、「ちょっと」などといった注意を喚起させる語句が最も多用されていることが分かるようになった。
薛鳴氏の調査によると、「近所の人」や「親の同僚か友人」では、日本人の場合は、親族名称に次いで、「苗字+さん」で呼ぶのもかなり目立っている。未知の人に使う呼称は、日本語の「お父さん」「お母さん」は、かなり固定化した使い方が見られることが指摘した。例えば、スーパーやデパートなど、日常の衣食住に密接な関係のある場所では、店員がよくお客さんを「お母さん」または「お父さん」と呼ぶ。また、テレビ番組で「お父さんのための~」というのも見られる。それらはいずれも、話し手が自分自身の立場からではなく、一般論的に虚構した「家族」から想定した、当人の役割から、上記のような呼称の使い方が生まれたのであるというふうに結論づけた。
(6)最新の研究
呼称に関する最新の研究としては、王欣(2003年)、汤金樹(2004年)、王蓮娣(2008)の研究である。
王欣氏は日本語の呼称の特徴という角度から着手し、日本社会文化との関係という視点から考察し、2003年に「現代日本語の呼称語の特徴及び日本社会文化との関係」という論文を発表した。王氏は論文の中に、日本の人間関係はいかにも一つの座標軸のようなものであると指摘した。タテ軸は上下関係を代表するとしたら、ヨコ軸は親疎関係を表している。人々はむしろ自分をこの座標軸に中心において、他人との上下左右の距離を測って、適当な呼称語を選ぶわけである。それから、現代日本語の呼称語の特徴をまとめた。それはタテの上下関係とヨコの親疎関係の二重構造が同時に存在していることである。こういう特徴を形成した原因は日本社会と密接に関わっている。古代中国の儒教思想の影響で、長幼序があり、男女が区別されるなどの階級制度も残る。一方、この伝統は戦後をきっかけに、大きな変化を辿った。西洋の平等思想の影響で、人間関係が従来の厳しい等級身分がなくなり、対等志向を求めるようになった。そのため、日本は中国と西洋の間に挟まれ、両者の性質を兼ねている。これが現代日本語の呼称語の特徴を成す深層的な原因だと指摘した。
汤金樹氏は日中両語の呼びかけ語の対照の視点から、現代日本語と中国語における親族間の対話に使用する呼びかけ語及び親族以外の人との対話に使用する呼びかけ語を対照考察し、2004年に「日本語と中国語の呼びかけ語に関する対照研究」という論文を発表した。この論文は両国語の対照考察を基礎に、日中両国語の呼びかけ語の共通点と相違点をまとめ、最後に日中両国語における呼びかけ語の使用規則の共通点と相違点を生み出す主な原因を分析した。
王蓮娣氏は日本のテレビドラマにおける会話表現を中心に、日本語における「親族呼称」についての分析、考察を行った。
まず、目上の親族への呼称を対象に、「血族関係」と「姻族関係」という二つの側面から考察を加えた。ドラマの具体例を取り出して、一世代差、二世代差、同世代という世代差に分けて考察した結果としては、目上の親族に対し、「おじいさん」、「おばあさん」、「おとうさん」、「おかあさん」のような「親族呼称」で呼びかけるのが一般的である。そのほかに、異例もある。子が親に対し、「あなた」のような「二人称代名詞」、親の兄弟及び義理の兄姉に対し、「名前+さん」で呼びかけるという傾向もある。更に、血のつながりがあるかないかによって呼称が違うことと判明した。
それから、目下の親族への呼称を対象に、「血族関係」と「姻族関係」という二つの側面から考察を加えた。ドラマの具体的な例を取り出して、一世代差、二世代差、同世代という世代差に分けて考察した結果は以下のようである。「血族関係」の場合は、世代差によって、「名前」、「感動詞」、「二人称代名詞」、二つ或いは二つ以上の呼び方を複合した「混合型」のような呼び方が使用される。しかし、「親族名称」を使用する極端な例もある。一方、「姻族関係」の場合は、「名前+さん/ちゃん/君」が多用されることが分かった。
次ぎは、夫婦間の呼称を対象に、「夫が妻への呼称」と「妻が夫への呼称」という二つの側面から考察を加えた。ドラマの具体的な例を取り出して、「若年層」と「中年層」という年齢層に分けて考察した結果としては、若年層の夫婦は、「名前」及び「名前+さん/ちゃん/君」で呼ぶ場合が多い。一方、中年層の夫婦は、「お父さん/お母さん」、「二人称代名詞」、「感動詞」、「名前」など、さまざまな呼び方を使用することが解明した。
また、親族関係のない人に対し、「親族呼称」で呼ぶという「親族呼称の転用」を対象に、「知り合い」の場合と「見知らぬ者同士」の場合という二つの面に分けて考察した。「知り合い」或いは「見知らぬ者同士」へは一般的な呼称表現と「親族呼称の転用」に分けて考察した。その結果は以下のようである。「知り合い」の場合は、目上に対しては「名前+さん」、「職務名」などの尊敬を表す表現を使用するが、目下或いは同世代に対しては「名前」、「名前+さん/ちゃん/君」のような呼び方が多用される。ただし、親しさを表すために、目上に「親族呼称」で呼ぶという「親族呼称の転用」という用法もある。一方、「見知らぬ者同士」の場合は、「喚起語句」、「一人称代名詞」などを使用するのが一般的であり、「親族呼称」も使用することが明らかにした。
最後に、「親族呼称」と日本人の使用意識を対象に、日本の文化や歴史の背景から、日本人の「上下意識」、「内外意識」、「子供中心意識」、「気配り意識」、「距離置き意識」という五つの意識を論述した。
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