①ご苦労様
(「ご苦労様です」、「ご苦労さん」、「ご苦労さんです」)
②お疲れ様
(「お疲れ様です」、「お疲れさん」、「お疲れさんでした」、「お疲れ様でした」、「ほんとうにお疲れ様でした」)
1.資料からみた使用実態
慰労のあいさつ言葉として使われているこの二つの表現を比較してみると、「お疲れ様」類が33例で、「ご苦労様」類(10例)の三倍以上だということが分かった。資料の用例から見ると、「ご苦労様」類はすべて、部下や年下のような目下に、または引越し会社の従業員や配達員に対して使った例である。その一方で、「お疲れ様」類は、目上にも、親しい人にも使える。「意味的には、『ご苦労さま』類が聞き手の『(何かのための)苦労』という行為を当然視して取り上げるのに対して、『お疲れさま』は聞き手の『疲れ』という状態を取り上げる。その点で、聞き手に寄り添った見方になっており、発話者も聞き手も同じメンバー同士という状況で使うようである」と森山氏が指摘している(森山1999)。だから、「ご苦労様」類より、「お疲れ様」類のほうが広く使用されているのである。
2.不思議な「お疲れさま」
ここでは作者自身の留学経験を生かした内容である。
4月20日夕方7時ごろ、私は8時間ぐらいかかってやっと松山空港に着いた。その時から日本での一年間の留学生活も始まった。わざわざ空港まで迎えに来られた日本人の先生は「お疲れさま」と言ってくださった。「いいえ」と元気に返事をしたが、たしかに疲れていた。
翌日、電車で大学に行った時、「松山市、松山市駅です。長らくのご乗車、お疲れさまでした。……」という車内放送が耳に入った。10分間しか乗っていないから、全然疲れていないのに、と不思議に思った。
その日、講義が終わって同級生と一緒に研究室に戻った。友達の一人は、かばんを片づけてみんなに「これからバイトがあるんで、先に失礼します。お疲れさま」と言って研究室を後にした。ほかの人も「お疲れさま」と返事した。90分の講義を受けただけでそんなに疲れていないと思うが、どうして「お疲れさま。」というのかよく分からなかった。その後、同級生の友達はみんな毎日帰る時に、「お疲れさま」、「お疲れ」、「お疲れさん」と言う。まだ分からないけど、返事として、私も「お疲れさま」と言わざるを得なくなった。時間が経つにつれて、日本での生活にもだんだん慣れてきて、先に帰る時、私も深く考えず自然に「お疲れさまでした。失礼します。」と言い始めた。また、よく校内で学生同士が別れる時にお互いに「お疲れさん。」というのを聞いても、当たり前のことだと思って最初の疑問もいつのまにか消えていた。
学校だけではなく、バイト先でも仕事が終って帰る時、いつもこのようなあいさつを取り交わした。
日本人が別れる時よく使う言葉は、「それじゃ」とか「またね」とか「バイバイ」など中国で勉強したことがあるが、実際日本に行ってみると、それらの言葉を言うには言うが、「お疲れさま。」のほうがよく使われているような気がする。その時の「お疲れさま。」はほんとうに疲れたかどうかには関係なく、もうお別れのあいさつになってしまったのだろうと思った。
しかし、ある朝、学校に来た同級生は研究室に入った時、彼より先に来ていた私に「あっ、ウさん、お疲れさん。」と言った。今度の「お疲れさん。」はいったいどういう意味だろうか。別に別れる時でもないのに、どうして「お疲れさん」というのかという質問を持った。また、ある日学校が終ってバイトに行くと、同じ店で働いている日本人の友達に「お疲れさまです。」と言われた。まだ仕事を始めていないのに、「お疲れさま。」なんて言ってもよいのかと思った。その後、すごく気になっていたから、その場面で使う理由を教えてもらった。一つ目は、「ウさんが住んでいる所から学校に遠いにもかかわらず、学校の近くに住んでいる俺より早く学校に着いたのは、早めに起きたのか、あるいは速く自転車を走らせたのかどちらかだろう。どちらにしてもきっと疲れたと思うから。」と、同級生の友達が話してくれた。二つ目は、「ウさんは学校で講義を受けてもう疲れているのに、またバイトをしないといけないから、たいへんだと思ってそう言ったのです。」と話してくれた。
またある日、店で一つのズボンを気に入って試着させてもらった。試着室から出たとたん、店の人に「お疲れさまです。いかがでしょうか?」と言われた。その時は「もしかして試着室にいた時間が長かったから、皮肉に言ったのかな。」と不思議に思ってしまった。
このようなことがあったので、もう一度「お疲れさま。」の意味を考えなければならなくなった。お別れのあいさつとして形式的によく使われているが、もとの「相手をねぎらう」という意味もまだ十分持っているということが分かった。それに、場合や相手によって使い方が違うわけである。しかし、いずれにしても、日本人はよく相手の立場に立って、相手の気持ちを察して心配りをするということが理解できるだろう。この言葉を通して日本文化の一側面も窺えるのではないかと思う。
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