钱国红
祖先崇拜和生死观有共通的对应关系,在重视生死的社会性意义这点上相似。日本的武士通过“死”来确认与祖先的连系,带有想要完成死的社会性意义的倾向。中国的士大夫也有时以“死”来询问生的意义,以“更好地生存”来确认与祖先的连系,探寻生的社会性意义的倾向更强。现代社会迫切需要重新思考符合现代生活的生死观。
中国民衆の生死観はその特別な祖先崇拝の思いに裏付けられている。祖先崇拝は中国民衆の霊魂、陰陽両界の関係についての認識をよく現した宗教観念で、中国人の死と生への無限の思いを託した独特な信仰体系である。
祖先崇拝を信仰する中国民衆は死後の世界および亡霊生活に格別に関心を持っている。彼らの死後世界に関する考えは、次のような特徴を有している。
(1)人間世界の生活、感情並びに感受した政治意識を死後世界に投影する。
(2)死後世界は人と鬼との分離によって人間世界との連絡を失うことがなく、霊魂の存在への肯定と人間の霊魂に対する供養と関連する。
(3)霊魂は冥界で人間の対立面として存在するのではなく、それは人々の解脱の唯一の道であるとされる。
(4)冥界の霊魂でも人間世界と同様に春夏秋冬の四時の推移から大自然の寒暑易時を感受する。冬になると人々は死んだ家族のために禦寒の衣服、靴、帽子を送る「送寒衣」の光景があちこち見る事が出来る。人々は自分の努力は、死んだ家族の冥界での幸せにつながると信じている。
民間では、死去者のために誕生日の祝いをすることも珍しくない。亡霊は人との願望とは相通ずるもので、人の世に居なくても誕生日を祝う事を喜ぶ。なくなった祖父や父母に祝寿をすることは、冥寿あるいは冥慶の祝いといわれる。死者のための結婚は冥婚という。こういうとき、集合してお礼をしたり祝いをする儀式を行い、親友たちがそれに出席したりする。冥婚に対する認可は、人々の死後世界の観念と密接に関わっている。中国では結婚は人生の一大事として愛情の有無を超えて安心立命のために通らなければならない通過点である。結婚せずに夭折した男女は、陰間でも人道の未体験の遺憾を抱くと考えられ、場合によって世間の親族に不幸をもたらしてくる事さえある。そして昔から孤男、孤女が祖墳に入る資格を持っていないので、特に女性にとっては、冥婚は相当重要なことである。昔女子の祖先地位は夫の家にあるので、婚姻によって初めて祖先地位を手に入れ、死後の魂がはじめて寂しくなくなる。未婚してなくなった女性は主のない孤魂であって、祖先になることができず、その位牌は祭祀の行列に入る事ができない。祀奉を受けることができなければ、亡霊が霊界での生活の保証を得る事ができず、故に生きている人々を襲うことを避けることができない。亡霊の祟りを防止する最もいい方法は婚礼を行って冥婚をさせることである。冥婚の形式は中国の民衆の生死観の産物であり、現世生活への拘りはこうして人々の死者の世界への関心を呼び覚まし、死者あるいは自分の死後に対する思いやりを持たせているのである。
死者への思いは中国人の祖先崇拝の宗教的感覚から生まれてくるものである。中国社会における普通の民衆の持っている真の宗教心は、祖先を祭祀し、崇拝する行為に見ることができる。祖先崇拝は原始社会の霊魂崇拝とトーテム崇拝に源流を持っている。祭祖の伝統は人の死後の霊魂が不滅という信仰によるものであり、はじめは貴族たちの特権として存在したが、後に儒家の礼教に取り入れられ、民間に広まっていったのである。貴族たちは祖先と天神への祭祀を共に行うものだが、民衆は天神への祭祀が許されず、祖先崇拝、つまり祖先への祭祀は民衆の唯一の宗教的感情の発露の場として代々の人々に受け継がれてきている。
祖先への祭祀、崇拝は、中国民衆に外来の宗教における祖先崇拝の宗教感覚に違反するものに対して受け入れがたい思いを強く持たせる。インドから仏教が入ってきたとき、最初は祖先崇拝との衝突は避けることが難しかった。後に仏教のほうが祖先崇拝を受け入れることによって、初めてこの難題を解決する。因果報応と祖先崇拝の連繋は仏教の中国定着を促した最大の原因であった。初期のカトリック宣教師も中国民衆の祖先崇拝を配慮して、信者の祭祖行為を許す事によって、中国民衆のカトリックへの反感を緩めようとしていたのである。
日本、ひいては朝鮮半島、中国という東北アジアの原初的な宗教的特徴はシャマニズムとアニミズムである。このシャマニズムを基礎にして、最初に形成したのはいわゆる儒教である。儒教自体をつくったのは中国であったが、このシャマニズムを根底に持っているのは、日本も朝鮮も同じである。これは儒教を受けいれるために大事な土台を提供している。儒教の中にある祖先崇拝の意識もこれによって日本に受け入れされやすくなる。ちなみに道教もまたその根底にあるものをシャマニズムを据えている。神道や日本仏教における祈祷や呪いの類の多くは道教から来ているとも言われている。
儒教は人間を精神と肉体との二つに分ける。精神を支配するものは「魂」と呼び、肉体を支配するものを「魄」という。儒教でいう人の死とは、肉体と霊魂の遊離である。つまり、魂と魄の分離である。儒教や道教の影響を受けた日本の神道でも死をこうした肉体と霊魂の遊離として捉える。肉体は亡びて無くなるが、霊魂はそのまま生き続ける。そして、やがては、その家の守り神となって、再び帰ってくる。その間、亡くなられた人の霊魂、つまりミタマサマが幸せに浄められるようにお祈りすることが今日でも続けられるお祀りである。ここでは亡くなられた人たちの国は黄泉(よみ)の国とも根の国とも云われている。古来日本人は、亡くなられた人たちの国を海の彼方にあるものと感じて過ごしてきた。時代と共にそれは山の上や地中とも考えられるようになった。いずれの場合も、死者の魂は生きている者の世界に寄り添うような形で身近な場所から人間社会を見守っている。仏教の西方浄土やキリスト教の天国というような遠い死者の国ではないのである。
今日のようなお年忌に、お盆とお正月、それに春と秋のお彼岸には、亡くなった人がその家に帰ってくるといった伝承は、仏教伝来以前より、日本人が受け継いできた東アジア的な信仰心である。
祖先崇拝に源する「祖先を祀る」ということも、日本人が古代から持ち続けてきた信仰心をミックスした東アジアの共通した宗教心の現れで、神の恵みと祖先の恩とに感謝して、お供え物を上げてお参りすることである。
よく、お盆というと仏教の行事と思われているが、本来は東アジア固有の先祖祀りが元になっている。江戸時代の檀家制度により、庶民の先祖供養まで仏式で行うよう強制したため、このように解釈されているのである。
日本の家の仏壇は中国と朝鮮半島にない独特な存在である。しかし、この仏壇にも仏教の輪廻転生と儒教の招魂再生という二つの理念が表されている。その根本にあるのはやはり祖先を祭祀することである。
但し、同じ祖先崇拝でも日本の祖先崇拝と中国の祖先崇拝は、血縁の役割を巡って、異なった側面をも示している。中国では祖先への祭祀は血の結束を確認するもので、血の繋がりに絶対な意味合いを有している。しかし日本では、中国ほど血の繋がりに拘ることがなく、家の結束と家業の継続という現実利益への傾斜を求める傾向を見せている。中国の祖先崇拝は一族に限定されるために、中国人全体の祖という血的な繋がりを持つ対象を作ることが難しく、国全体を纏める存在を、龍というト—テムとか共通な文化を作ったとする炎帝や皇帝というような超人的な存在に求めることになる。それは個々人にとっては、「天」への崇拝に繋がるもので、先祖崇拝とは同じ範疇に入れることができない。中国では「天」への崇拝と「先祖」への崇拝は別々に存在しているのである。
一方日本の場合では、祖先へのつながりは、血縁を超えるところまで許容範囲としている。例えば養子や婿入りなどは、血縁の遠近に特に拘らない。家族を超えた業界の祖と日本をカバーする天皇一族の祖を全日本人の祖として受けいれることも可能になっているのである。近代以来、日本における天皇を頂点とする大きな家と個々人の先祖を含む小さな家の共存や相互補完関係が依然と維持され続けたのは、日本式祖先崇拝の感覚がまた生きていることのしるしである。
特に日本の武士の世界では「切腹」という自殺の様式があるぐらい、死に対する考え方が独特である。武士の「切腹」は復讐や忠義のために限定されるところがあるが、義の考えは儒教とも無関係ではない。人類文化学者ベネディクトが『菊と刀』において指摘したとおり、アメリカ人が自殺を否定し、それを絶望に屈服した自己壊滅だと考えるが、日本人は、自殺を尊重し、それを光栄的で有意義な行為として受け止める。日本人は一定の状況の下で自らの手で自分の命を絶つこと、つまり自殺という行為に特別な意味を付与している。多くの人が適当な方法で自殺することによって、汚れた名誉を回復し死後の名声を獲得することができると考えられている。明治以前や以後でも、日本の武士や軍人は自殺を自らの精神的な勝利を勝ち取るための最後の表現としていると言われている。そのような価値観は、いつの間にか美学や文化として民間にも染み込んだためか、日常生活の日本でも知識人や民間の一般人を含めて、自死という生の極致を求める人が他国よりも格段に多く存在しているのである。
このごろある詩人の自殺は、マスコミの議論の反響を大きくした。生活苦や若き妻の病気のために自殺したとされているこの30代の専業作家の自殺が、自死の意味への思索を多くの人々に気づかせたためか、死を議論する記事が増えているように見える。ある人は西洋人の見方で考えると詩人の死は肉体を取り消すことによって存在の尊厳を維持する特殊の手段であると見られるかもしれないとし、一方、中国人の考え方で見ると、まるで違う側面が指摘されてくるという指摘もある。つまり中国人にとっては、「生きる」ことが絶対の責任であり、宗族の血脈を持続するために生活の苦を我慢してまで受けるべき絶対的な責任である。このような責任心を裏付ける言葉には、「好い死は酷い生にしかず」というものがある。これは死を恐れるのではなく、個人の死の悲しみと種族の死の悲しみの間の選択である。仏教も自殺に反対する。正果が修成されていないところでは逃げてはいけないという意味において死の回避を勧めているだけである。
多くの自殺者はその動機から見れば、外国のような例や中国古代の例とも完全には噛み合わないかもしれない。現在の自殺者の多くは生活苦への回避、あるいは現実の厳しさから逃げるために取られているもので、これは「利己的な自殺」の側面があると言える。一方において一部の自殺者は、病気の妻とか幼い子供に迷惑を掛けないための「利他的な自殺」であることも判明されている。こうした自殺行為は精神的原因にのみならず、社会的原因に引き起こされる場合が多い。しかし利他でも利己でも、いずれも自らの手で死を選んだことが同じである。ここには死の自然的な側面よりも社会的な側面を重んじる死生観の面影を見ることが出来るではないかと思われる。
生と死はすべての生命が生まれから存在して、衰亡していく自然過程であるが、社会化した人間としては、かならず、生と死に対していかなる態度を持つかという問題に逢着する。異なった人生観の持ち主は、生と死に対して異なった価値判断を持って、異なった生死観を形成する。
古代中国の儒者は、死の意味を家族との連続において考える傾向がある。死があれば生もある。生きている子孫が死んだ先祖の残した体であるので、個体として死んでも、一族としては長らく生き続けることができる。だから儒学者は生命の尊さを十分に理解している。しかし個人の存在が一族の存在や社会全体の存続に意味づけられ、ゆえに個人の生命よりも一族や全社会の継続が大事に思われる論理が成り立つ。したがって長い王朝時代における生死観が多種多様ではあるが、イデオロギーとして社会の主流を占める支配的な生死観には、いつも社会、道徳の意義を加えられている。古くからは、孔子の倫理思想として「志士仁人、生を求めて仁を害すること無かれ、身を殺して仁を成すことあり」(論語 衛霊公)という言葉もある。仁を成すことが生を求めることより大事であって、決して生を求めることによって、仁徳を損害してはならなく、たとえ自分の命を犠牲にされても、仁徳を成すことを最優先にするべきだと強調している。また孟子は「生亦我の欲する也、義も我の欲する也、二者が兼ねて得るべからずれば、生を捨てて義を取る也」(孟子 告子上)といって生を捨て義を取ることを人生の最高の価値としている。歴史的には大義を果たすために生命を犠牲にした仁人志士が数多く存在しているのも、このような死に対する価値観の持ち方と無関係ではない。
もちろん中国では違う意味において生死を理解している人もある。戦国時代の楊朱は「貴生」「重生」、個人の生命を保全することを理想とし、死を人生の価値の喪失という考え方を持っている。一方、荘子のように「生を悦んで死を悪む」ことを人生の桎梏であるとし、人生の自由を獲得するために死生の変を超越しなければならないという考え方もある。ここでは「死生一条」を主張し、死と生を同じことと捉え、生と死の境を否定し、死亡を人生の自由、幸福の最終的な実現だと考えられている。こうした達観があると、人々が是非、利害、死生などの人生のすべての桎梏を解脱し「逍遥」の境に入ることができるとされている。
現代哲学ではドイツのハイデガーが死を本体論的な意味においての生存状態として捉えている。死に対する分析を通じて人間の存在の一般性や真の存在の方式と特色を掲示することができると考えている。人々は生まれてからすぐ死の可能性が付き纏う。死は存在の可能性の極限で、人間の存在の可能性は死を通じて初めて示されるものである。死は無関係を意味するもので、死んだら人は再び世界に介入し物との交渉ができなくなる。これは逆にいうと人間の存在は世界に介入し、物との交渉の可能性であり、この可能性こそが人間の真なる存在の確証である。また死は確定的なものだが、いつ死ぬかは不確定なので、これは日常生活における人々の異なった死への態度を誘い出す。ハイデガーは、真剣に死に面し、死を自分の真の存在の可能性にすることによって、人間は始めて自分の真の存在の様式を把握し、自分の真の生存方式を選択できると指摘している。生は死との対比においてはじめて意味があり、死への意識は、生のあり方をも拘束することさえあると理解されているのである。
新中国成立して以来でも、生と死に対して特に社会的、道徳的な意義を求めている。その公式見解としては、生と死の価値が、生命の長さ、職位の高低、権力の大きさと富の多さによって測るべくではないとし、人人の利益と社会の進歩の中にそれを見なければならないとしている。かつて毛沢東も「人間はもともと一死するものだが、あるものは泰山より重く、あるものは鴻毛より軽い」といって人のため、社会のための自己犠牲を評価しているのである。これは献身精神や犠牲精神の肯定であり、一定の理想や目的のために、個人の利益若しくは自分の生命を捧げることへのアピールでもある。
現代社会では現代生活にふさわしい死生観の再思考が至急求められている。20世紀90年代に入ってから、中国医学界、倫理学界では生命倫理の角度から安楽死や脳死について議論を交わした。結論はまた十分に出されていないが、死について臨終に近い人に対する理解が広まりかつ深められていると言われている。人は必ず死ぬ。高齢化問題や死の尊厳、安楽死など、人々が直視しなければならない問題が数多く存在している。臨終に近い人に対しての対応法の一つを取ってみても、いまは社会各階層(看護婦、医者、社会学者、宗教学者、ボランティア、政府関係者、慈善機関)が揃って解決しなければならない大問題になっている。臨終に近い人を前にしてその生命の時間を延長するか、その生命の質を高めるか、西洋の生死観と儒教の生死観の両方から答えを求めることができる。それを一つの見解に纏めることが極めて難しいことであるが、現に東西洋の生命観を融合してこの問題を思考しようとする人々が増えているようにみえる。だが、固有の伝統価値に拘ってこの問題に対処しようとする人も数多く存在する。地域文化の強調か、価値観の世界化か、未解決な問題を多く抱えているが、世界規模の議論が続く以上、生死を巡る人類の相互理解が一層深められていくことは期待できるであろう。死の意味への探索は、いつの時代でも人類全体にとって、生の意味への最大かつで最高の関心の表れである。
祖先崇拝と死生観の対応関係を共通に有し、死生の社会的な意味を重視するところは相似している。
日本の武士は「死」を持って祖先との繋がりを確認し、死の社会的な意味を達成しようとする傾向がある。
中国の士大夫は死を持って生の意味を問うこともあるが、それよりも「よりよく生きること」を持って、祖先との繋がりを確認し、生の社会的な意味を求める傾向が強い。
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