第六章 中日同根語について
1. はじめに
筆者はここ数年来の中国と日本での「同根語」に関する研究論文を考察したうえで、中国と日本の間に存在する、欧米の言語に見られない違う概念の「中日同根語」を「中日両国語にある同じ起源を持っている漢字語」と定義してみた。そして、現存する両国の辞典、辞書にとどまらず、中国の古典文献を検索し、考証したうえで、漢字語の起源により、大きく、中国起源の中日同根語と日本起源の中日同根語に二分し、さらに、文字の形、語義、語用の異同により下位分類を試みた。中日同根語の字形·語形と語義が時代と環境により大きく変化していること、用法の中で、特に品詞性が大きく相違していることがわかった。
2. 本研究の目的
中日同形語の研究が盛んに行われてきた。その研究が深まるにつれて、「同根語」の角度から中日言語を比較する研究が増えている。しかし、「同根語」の定義があいまいだったりしているので、関係の研究者や日本語学習者に混乱を招きかねない。それで、筆者は少しでも中国の日本語学習者などに役立とうと思い、「中日同根語」の研究に取り組んでいるのである。
3. 先行研究
近年来、日本と中国で「同根語」に関する研究が増えている。以下に日本での「同根語」研究と中国での同根語研究について考察していく。
3.1 日本での「同根語」研究
ここ数年『日本語教育』などに「同根語」に関する論文が3点掲載された。「同根語」という用語が一体何の意味で使われているのか、その使い方が厳密であるのか、それぞれについて詳しく分析していく。
邱學瑾(2003)(1)は日本語漢字単語の習得に関する論文の中で最初に「同根語」を取り上げたが、次の問題点がある。
①「同根語」の定義がはっきりしない。日本語漢語と中国語漢語との語源関係を定義に含めていない。
「同根語」について、邱學瑾(2003)は、本文で「Cognates,2言語間で語源が同じ,形態·音韻·意味が類似している単語」であると説明している。一方では、論文の最後に次の注をつけた。
日·中2言語は同族言語ではないが,日本語には中国語から数多くの漢字熟語が取り入れられたので、両言語間において、形態及び意味が同じ漢字2字熟語(例えば,規則/kisoku/-規則/gueitzer/)が多く存在する。本研究では,日本語と中国語の訳語どうしで,中国語の訳語と形態が同じ日本語漢字熟語を同根語と定義する。また中国語の訳語と形態が異なる日本語漢字熟語(例えば,財布/saifu/-錢包/chyanbau/,財布は中国語では非単語である)を非同根語とする。
邱學瑾(2003)の言っている「同根語」と「非同根語」は原語と訳語を比較したレベルの概念であり、「日本語漢字熟語」が中国語の訳語の「源」であるという意味が読み取れる。
確かに、明治時代以降、日本語から中国語に逆輸入された漢語がたくさんある。その日本人の造った和製漢語が現在の中国語漢語の「源」であると言えるが、しかし、「日本語には中国語から数多くの漢字熟語が取り入れられた」から、日本語の中に存在している数多くの漢語の源は中国語だったのである。「同根語」が双方の源を含めて指す概念であるべきなので、邱學瑾(2003)の定義は「同根語」の範囲を狭めてしまった。
②「訳語」を使うのは適切ではない。
『大辞林』では、「訳語」について、「翻訳する時にあてられる語。一般にはある国語を他の国語に訳した語をいうが、一国語の中で古語を現代語に直した語をいうこともある。」と説明してある。
ふつう別の言葉を捜したり、新しく造ったりして、翻訳をするのであるが、その言葉をそのまま変えずに使うのは翻訳とは言えない。「借用」というのが普通である。
③論文に挙げた「実験用」の言葉にも問題がある。
「実験1で日本語能力試験の出題基準の2級語彙リストに基づき、96語の熟語が選定された」が、論文に「過程(課程)」「電灯(伝統)」「部分(身分)」「満足(親戚)」という例しか載せていないが、作者によれば、ターゲット語の同根語は「課程」「伝統」「身分」「親戚」(2)を指している。
しかし、この4つの漢語は全部もともと中国にあり、日本に伝わった言葉なので、日本語に対する訳語ではないわけである。したがって、この4つの漢語は全部邱學瑾(2003)の「同根語」の定義に合わない。
④論文の「同根語」の英語表現が統一されていない。副題では「The comparison of cognates and non-cognates between Japanese-Chinese」を使っているが、キーワードでは「cognate status」を使っている。
邱兪瑗(2007)(3)は論文で「同根語」と「非同根語」の定義には全く触れていない。参考文献に邱學瑾(2003)の論文を挙げているので、たぶんその定義にしたがっただろう。
実験用の言葉の選択にも問題がある。邱兪瑗(2007)は実験で同根語として「椅子」、「木綿」、「法則」、「黒板」、「運河」、「熱心」、「日記」、「台風」、「神社」、「安心」を、非同根語として、「茶碗」、「無地」、「煙突」、「能率」、「風船」、「屋上」、「人形」、「世話」、「案内」、「「興味」を用いた。しかし、「同根語」の「椅子」、「木綿」、「法則」、「運河」、「熱心」、「日記」、「安心」、「黒板」、「神社」、非同根語の「興味」は中国では古くから使われてきた。ただ、「神社」は中日で意味が明らかに違う。「安心」の意味も現代中国語でずいぶん変わり、その代りに「放心」がよく使われるようになった。「黒板」は昔「黒い板」を指したが、現在教室で使われているチョークを書くための道具を指すのが普通である。「台風」の用例は《雪月梅》(4)第四十七回に確認できた。
原来这毛海峰本是飘洋大客,极有胆勇,因遭台风坏了船只,逃得性命,流入贼中,原非本意,今见官军整肃,将士英雄,因劝汪直不听,想仗此妖术谅难成事,当夜扮作乡民悄悄逝去,竟不知所之。
作者陳朗が清乾隆四十年(1775年)に自序を書いたので、小説《雪月梅》も同じ時期に完成されたと思われている。したがって「台風」という言葉は中国に語源があると判断できる。
蔡鳳香·松見法男(2009)(5)は論文の本文で「中国語と日本語は、2言語間で漢字形態が類似する翻訳同義語(以下では、これを同根語とする)が多く存在するため、中国語をL1とする学習者では、日本語を学習する際にL1による負の影響を受けることが否めない。」と述べているが、注で「同根語は本来、言語学的に同一語族の言語間(例:ドイツ語と英語)で使用される。中国語と日本語は、同族言語ではないので、厳密には同根語は存在しないといえる。しかし、両言語には、形態が類似し意味がほぼ同じという単語が多数存在することから、近年の研究では、そのような特徴をもつ単語を同根語として扱っている。本研究も、この研究動向にしたがった。」と説明している。
中国語と日本語の両言語に、形態が類似し意味がほぼ同じ(同じでない言葉も数多くある)である漢字の言葉は普通同形語として、扱われている。新たに「同根語」で命名する目的と根拠を明確にしなければならない。そうでなければ、同じ研究対象を別の名前で呼ぶと、日本語学習者に混乱を起こすだけだ。
「同根語」について、筆者が日本の言語学の書籍や辞典をいろいろ調べてみたが、確認できなかった。「同根の語」は『大辞林』と『集英社国語辞典』に「同根」の用例として使われているのが確認できた。「同根の語」は「同じ起源を持つ言葉」を意味していると判断できる。
「同根」を「解説に含む」でインターネットの『大辞林』(6)を調べたら、「えら·く」と「あからめ」の2例が見つかった。「えら·く」の〔補説〕に「「えらえらに」の「えら」と同根。」、「あからめ」の〔補説〕に「「あから」は「別(あか)る」と同根か。」と書いてある。つまり、「えら·く」と「えらえらに」は同根語、「あからめ」と「別(あか)る」は同根語であることを意味している。
インターネットで「同根語」を検索したら、フリー百科事典『ウィキペディア(7)(Wikipedia)』に次のように説明してある。
系統関係が想定される複数の言語において、類似した意味内容で用いられる(あるいは用いられていた)形態的に類似した単語のこと。言語の系統関係を探るうえでの手がかりとして重視される。
一部分の研究論文に「同根語」が使われているが、西洋の言語学者の文献を引用するにとどまっている。たとえば、三宅恭子がシリーズ論文(8)で「同根語」「非同根語」という言葉を取り上げたが、意味や定義について、確認できなかった。
3.2 中国での同根語研究
「同根語」に対する研究が中国で最近盛んになってきた。次に主に三つの論文での「同根語」の意味について考察していきたい。
唐瑛(2002)(9)が論文の初めに次のように述べた。
汉语词汇里边的同根词恐怕没有哪一个能够与玉相比。光《汉语大词典》里的以玉为词根的词,词组就多达1 268个。这是一个庞大的以玉为词根的词汇类聚。
漢語語彙の中の同根語はおそらく「玉」と比較できるものが他にない。《汉语大词典》に収録されている「玉」を語根とする単語、連語は1268個に上る。これは「玉」を語根とする膨大な語彙集団である。(笔者译)
唐瑛(2002)が論文で「同根語」についての定義に触れなかったが、文脈から「同じ語根を持っている語彙集団である」を意味していると理解できる。
王盛婷(2006)(10)は埋葬用語の同根語を「埋葬方式を表す同根語」、「埋葬風俗を表す同根語」、「墓室及び墓地建築を表す同根語」、「埋葬道具と埋葬物品」の四種類に分類して、考察したが、「同根語」の定義に触れていない。
王盛婷(2006)は論文で、「埋葬方式を表す同根語」の語根として、「陵」、「墳」、「塋」、「兆」、「壟」を、「埋葬風俗を表す同根語」の語根として、「樹」、「帰」、「改」、「遷」、「徙」、「合」、「袝」を、「墓室及び墓地建築を表す同根語」の語根として、「道」、「碑」、「表」を、「埋葬道具と埋葬物品」の語根として、「棺」、「柩」をそれぞれ挙げたことから、王盛婷(2002)の「同根語」の意味は唐瑛(2006)と同じであると判断できる。
孙玉文(2007)(11)も同根語の定義について触れなかったが、前後の文脈からみれば、語源の角度から「同根語」の概念を使っていることが分かる。
孙玉文(2007)はまず“同根词必须音同音近,义同义近义通(訳:同根語は音が同じだったり近かったりし、意味が同じだったり近かったり通じたりしなければならない)”と同根語の条件を挙げ、それから、同根語に派生関係のある原始語と派生語の関係を論じた。
同根词中,尽管绝大多数成员是构词产生的,滋生词是由原始词
派生出来的,但是我们是今之识古,面对的是同根词滋生的结果。从理论上讲,一组一组的同根词,既有原始词和滋生词并存于后世的现象,也有原始词或滋生词的任一方在后世消失的现象。
同根語の大部分が言葉の構成によって生まれたものであり、派生語が原始語から派生したのであるにもかかわらず、私たちは、今の時代にあって、古代の言葉を研究するとき、同根派生語という結果に直面している。理論上から言えば、ひと組ひと組の同根語は、原始語と派生語が後世に併存する現象もあれば、原始語か派生語のどちらかが消えてしまった現象もある。(笔者译)
原始語が必ずしも先に消滅するとは限らないことを説明した。さらに、同根語である二つの言葉の相互関係を次のように分類した。
假定有两个词是同根词,他们的关系有三种可能:一是甲词是原始词,乙词是派生词;二是乙词是原始词,甲词是派生词;三是甲乙两词都是滋生词,它们的原始词消失了,甲乙两词之间不存在直接的滋生关系。
仮に甲乙という二つの言葉が同根語であるとする。その相互関係は三つの可能性がある:(一)甲は原始語であり、乙は派生語である;(二)乙は原始語であり、甲は派生語である;(三)甲乙とも派生語であり、それらの原始語が消えてしまい、相互間に直接の派生関係が存在しない。(笔者译)
「同根語」は中国語では「同根词」という。《汉语大词典》に「同根词」が収録されて、“在同一语种中词根相同、意义相似的词(訳:同じ言語の中にある根字が同じで、意味が類似している言葉である)。”と説明してある。
“互动百科(12)”では“含有同一个词根的词聚合在一起形成同根词(訳:同じ根字を持っている言葉が集まり、同根語を形成する)。”と説明してある。
以上をまとめてみると、中国での「同根語」の意味は大きく二つに分けられる。つまり、「同じ根字を持つ言葉の集団」と「同じ起源を持つ言葉のグループ」である。
4. 中日同根語
中日同根語も「同じ根字を持つ言葉の集団」と「同じ起源を持つ言葉のグループ」の二種類に分けられる。同じ根字を持つ言葉の集団はおびただしい数にのぼり、それぞれの比較研究は非常に有意義な作業であるが、本研究は同じ起源を持つ言葉に絞る。したがって、本稿では中日同根語を「中国語と日本語の二つの言語体系にある、同じ起源を持つ漢字語のグループである」と定義する。
中日同根語はその起源により、中国起源の同根語と日本起源の同根語に分類できる。
4.1 中国起源の中日同根語
中国起源の中日同根語とは中国で誕生し、日本に伝来後、中日両国でどちらか一方か双方が、字形·語形、意味、用法などにおいて、変化が見られた言葉である。
4.1.1 字形や語形が違う言葉
中日漢字の字形(13)について、林玉恵(2002)が台湾で使われている漢字と日本語の漢字の字形を詳しく比較して、分類した。ここで張麟声(2009)(14)の「作文語彙に見られる母語の転移」に挙げられた例を見てみたい。
上に挙げられた言葉の字形をよく比較すれば、その違いがはっきりわかる。「外国」と「外国」、「毎月」と「每月」が「表記上まったく同じものである」とは言えない。中国語の繁体字の“汉”“乐”练”が日本語で「漢」「楽」「練」に簡略化されたので、「繁体字が使用されているもの」とは言えない。中国語の「步」は繁体字を使っているが、日本語の「歩」は異体字を使っている。日本語の「週」は繁体字を使っているが、中国語では「周」に簡略化された。今の中国語の“天”は日本語の「天」と決して同じではない。日本語の「天」は《康熙字典》の「天」と字形が同じであるが、中国では現代文字改革によって、字形は上の線が短くなった。論文では中国語の“天”が日本語と同じ「天」になっている。「洗濯」と「洗涤」は違う言葉で、同形語として扱うのはどうかと思う。「洗涤」は中国語でまだよく使われているが、「洗濯」はほとんど使われなくなった。そして「暴発」と「爆発」が日本語で同じ言葉ではない。
日本語の専門家でさえ間違えやすいほど、中日漢字の字形が大きく違っているので、日本語学習者の習得時の難度が想像に難くない。
同じ起源であっても、語の形が大きく変わってしまう場合が多い。語形の変化が四字熟語によく表れているので、「邯鄲の歩み」「竜頭蛇尾」「塞翁が馬」「漁夫の利」について見てみよう。
「邯鄲の歩み」は中国語では“邯郸学步”という成語が常用されている。“邯郸之步”は昔使われていたが、現在成語として使われていない。そして、“学邯郸之步”“效邯郸之步”“放邯郸之步”“不免邯郸之步”“不得邯郸之步”“非复邯郸之步”(15)のように、古典の用例には動詞が欠かせなかった。
「竜頭蛇尾」の意味として、中国語では今“虎头蛇尾”が使われている。“虎头蛇尾”は中国の古典の仏教に関する書籍に多く使われた。《汉语大词典》によると、最も早い“虎头蛇尾”の用例は“元·康进之《李逵负荆》第二折:‘这厮敢狗行狼心,虎头蛇尾。’”である。なぜ“龍”が“虎”に変わったのか、まだわからないが、「竜」と「虎」が同じく「英雄」や「豪傑」を指すので、置き換えができたのだろう。「竜」は想像上のものであるのに対して、虎は中国に実在する動物で、実感が伴うのだろう。筆者の推測であるが、この変化は絵画に関係しているのではないか。中国の画家がよく虎を描いた。最初はものすごい勢いで虎の頭を描いたが、虎の尻尾がうまく描けなくて、蛇の尾に似てしまった。そのような物語から“虎头蛇尾”が誕生した可能性がある。
「塞翁が馬」に対して、中国語に“塞翁失马”“塞翁之马”“塞翁得马”がある。“塞翁之马”には動詞が入っていないが、“塞翁失马”“塞翁得马”には動詞が入っている。一つの名詞より、「主語+述語+目的語」の構成はバランスがいいし、理解しやすいので、“塞翁失马”が日常生活でよく使われているのである。
“漁翁得利”“漁翁之利”が日本語に入って、どうして「漁夫の利」に変わったのか、よくわからないが、どうも「翁」は年寄りのイメージが強いので、気に入らないのだろう。“左顾右盼”が日本語で「右顧左眄」になっている。日常生活で「左から右へ」の順番で事を行う場合が多いが、「右から左へ」という可能性もある。しかし中国語には“右顾左盼”という言葉がない。
以上で述べたように、中国で起源した言葉は日本に入って、字形だけでなく、語形が大きく変わったり一部の語しか伝わらなかったりするものが少なくない。
4.1.2 意味に違いが見られる同根語
意味に違いが見られる中国起源の中日同根語を三種類に分類してみた。
敷衍 湯 牽引 日程 生理 時事 投機 図書 分析
作者 身分
「敷衍」について詳しく見て行こう。
『大辞林』に二つの意味が載っている。
[1]おしひろげること。展開すること。
[2]意義·意味をおしひろめて説明すること。また、わかりやすく詳しく説明すること。
《汉语大词典》に次の四つの意味が載っている。
(1)散布蔓延;传播。
(2)铺陈发挥。
(3)表面应酬,虚与应付。(4)勉强维持。
中国語では最初の意味は「竹は成長力が強く、周りにどんどん蔓延していく」であった。そこから、「仁徳を伝播する」、「押し広めて説明する、展開してわかりやすく詳しく説明する」意味に発展した。「誇張したりしてでたらめに意味を押し広めて説明する」ところから、「いいかげんにあしらう」「お茶を濁す」「おざなりにする」という意味が生まれたのだろうと推測できる。今中国語では「いいかげんにする」の意味が一般的に使われている。昔の意味がほとんど消えてしまった。
「湯」は日本語で「水を煮えたたせて熱くしたもの」「入浴するため、あたためた水。」「温泉」などの意味で使われているが、中国語でそれ以外に「スープ」の意味がある。唐·王建の《新嫁娘》(16)という詩に詠まれた「湯」が「スープ」を意味している。
三日入厨下,洗手作羹汤。未谙姑食性,先遣小姑尝。
花嫁が嫁いで3日目、厨房に入り、手を洗い、羹とスープを作った。姑の味の好みを知らないので、先に義妹に飲んでもらった。(笔者译)
現在中国語では「スープ」の意味が一般的である。日本語に「熱湯」という言葉があるが、日本語を知らない中国人はきっと「熱湯」を中国語の“热汤”つまり「熱いスープ」と理解してしまうだろう。日本へ観光に来る中国人が増える一方である。ホテルや旅館で「熱湯」という言葉に出会う可能性が大きい。中国語との意味の違いを知らなければ、とんでもない誤解が生じかねない。
漢字が中国で誕生して、数千年の歴史をたどってきた。一部分の言葉が中国でもともとの意味で使われてきたが、日本に入ったら、意味に変化が現れた。
次の言葉を例として挙げられる。
「鴨」は日本語で「野生の水鳥」を指すが、養殖のものは「家鴨(あひる)」という。中国語では“鸭”は普通人工養殖のものを指す。野生の「鴨」は「野」をつけて「野鸭」と言わなければならない。ちなみに、最近“鸭”に「男娼」の意味が加わった。時代とともに、言葉の意味が変化していることが分かる。
次に“猿”について詳しく見て行こう。
《现代汉语词典》では“猿”について、次のように説明してある。
猿:哺乳动物,外形像猴而大,种类很多,没有颊囊和尾巴,有的特征跟人类很相似,生活在森林中。如猩猩和长臂猿。
哺乳動物。外形は「猴」に似て、種類が多い。頬袋と尻尾がない。一部の特徴が人間に似て、森の中に生息する。チンパンジーや手長猿など。(笔者译)
中国語での“猿猴”は“猿”と“猴”を別々に指している。“猿”はチンパンジー、ゴリラ、手長猿などを指す。“猴”は「日本猿(ニホンザル)」「天狗猿(テングザル)」「尾長猿(オナガザル)」などを指す。日本語では「猿猴」を使い分けずに、全部「猿」と呼ぶ。おそらく中国の“猿”のような動物が日本に生息していなかったからだろう。
「野菜」は、日中学者たちが中日同形語か中日言葉の違いについて述べる時、よく取り上げる言葉であるが、日本語では「食用に育てた植物」(17)を指し、「野生」の意味がなくなった。中国語では「野生の食用できる植物」(18)を指し、広い野原でもいろいろとれるので、日本語の「山菜」とは限らない。したがって、中国語の「野菜」の意味を日本語で表現しようと思っても、対応する言葉がないので、ずいぶん悩まされる人が少なくない。
「痴漢」という言葉は日本のいろいろなところで見かける。中国語では「愚かな人」と「真摯な人」の意味であるが、日本語では「愚かな男」より、「電車の中や夜道などで、女性にみだらないたずらをする男」の意味がよく使われている。中国にいる日本語学習者は「痴漢」という言葉に出会うチャンスが少ないが、日本に来たら、「痴漢」の意味に戸惑う人が少なくないだろう。
特に日本で新しい意味が誕生し、逆に中国に伝来して、定着した言葉が少なくない。次の言葉が挙げられる。
まず「温床」について見て行こう。《汉语大词典》によれば、もともとは“旧时对父母的一种孝行:冬天卧床使之温暖后,再让父母上床就寝(昔親孝行の一つ:寒い冬にさきに寝て、ベッドと布団を温めてから、両親に就寝してもらう)。”という意味であった。“床”は中国語で「ベッド」を意味する。「温床」は「V+N」の動賓構造であった。その意味はすでに中国で消滅した。日本で「わら·落ち葉などの有機物の発酵熱や電熱などを利用して土の温度を高めた苗床」とその比喩的な意味の「ある傾向や風潮が育つのに都合のよい環境」の意味が新たに生まれて、中国に逆輸入されて、一般的に使われるようになった。
“私立”は、中国語で「許可を得ずにこっそり設立する」意味であったが、「個人や法人で設立·経営する」という意味が日本で生まれて、中国語に入ったのである。日本の私立学校·大学などは決して国公立に引けを取らないが、中国では「私立学校·大学」の歴史がまだ浅いので、国公立との格差が大きい。
4.1.3 語用に違いがある同根語
中国語と日本語の言語体系では、語に対する理解が違うし、分類も違う。品詞の属性が大きく違う言葉も少なくない。それは中国の日本語学習者の誤用につながる大きな要因の一つであろう。
品詞の違う中国起源の中日同根語は数が多いが、紙幅の関係で次の言葉を挙げる。
“辈出”は中国語で自動詞のままで、「優れた人材や英雄が次々と出てくる。」意味を表しているが、日本語ではサ変他動詞として多用されるようになった。『広辞苑』は「続々とつらなり出ること。多く、才能あるすぐれた人材にいう。」と自動詞として扱っているが、「が輩出」と「を輩出」で全文検索したら、「が輩出」は16例、「を輩出」が31例ヒットした。他動詞の使い方が自動詞よりずっと多いことが分かる。また、「が輩出」の例の中で、人だけでなく、「類似の物語が輩出」「唯物論的存在論等が輩出し」のような人以外のものも主語になれる。
ここで「再会」と「防備」の2例を挙げる。
「再会」は中国語で「将来いつかまた会う」という意味か、「また会いましょう」というあいさつとして使われるのが多い。過去形の「再会した」の意味は《左伝》の“再会而盟,以显昭明。”があるが、ほかに用例が確認されていない。日本語では「三〇年ぶりに再会した友」(19)のように「再会した」もよく使われる。
「防備」の使い方は中日で微妙な違いがある。「外敵や災害に対してそなえをする」意味では同じであるが、中国語では、防備の対象が人や災害、人の攻撃などに限り、「港湾」「辺境」などが対象にならない。それらを対象とする場合、むしろ「防衛」を使った方が適切である。そして、中国語では、後に目的語が来ないで“防备”で文を終わることもできる。日本語では「辺境を防備する」(20)「国境を防備する」(21)「港湾などの防備」(22)「ウェブ情報漏洩から重要コンテンツを防備する」(23)などのように、守られる対象が目的語になる場合が少なくない。しかし、「日本を防備する」という表現は誤解を招きかねない。
(1)われわれのシステムは日本を防備するようには構築されていない。(24)
日本人は「日本を守る」という意味で使っているつもりだが、中国人は「日本に警戒心を持ち、再び侵略してくるのを防ぐ」と理解してしまうだろう。こういう表現が要注意であることは言うまでもない。
中国語から日本語に入った熟語の中に「V+N」で構成される熟語が数多くある。中国語で「動詞+目的語」で、自動詞として使われるのが多い。日本語では自他動詞として使われる場合が少なくない。
日本語の辞書やインターネットで次のような例を集められた。
(2)条約を締約する(『大辞林』)
(3)架橋工事を施工する(『大辞林』)
(4)運送会社を営業する(『大辞林』)
(5)建築物を解体する(『大辞泉』)
(6)同盟を締約する(『大辞泉』)
(7)支店を開店する(『大辞林』)
(8)野球を観戦する(『大辞林』)(『大辞泉』)(25)
(9)太平洋を航海する(『大辞林』)(『大辞泉』)(25)
(10)両眼を失明した(『講談社日中辞典』)
(11)ライトを点灯する(『大辞林』)
(12)過半数を得票できない(山陽新聞)(26)
(13)宇都宮城へ入城する当時の様子を華々しく再現した。(朝日新聞)(27)
(14)予備校に入校する(『大辞泉』)
(15)参謀本部の連中が~に乗船してきた。(『講談社日中辞典』)
(16)自分の所で自家用の電力を発電すること。(『大辞林』)(28)
中国人から見ると、熟語の中に動詞が含まれているので、また動詞をつけると、重なる表現になるのではないか、と思われるが、日本語ではむしろその動詞的な要素を無視し、名詞として、動詞と連語を構成する傾向がある。例えば:「被害を受ける」(29)「念仏を唱える」(30)「寓意を含む」(31)などで、「被」と「受」、「念」と「唱」、「寓」と「含」はそれぞれ同じ意味を表す。中国語ではそれぞれ“被害·受害”“念佛”“寓意”だけで意味が十分に表せるので、中国の日本語の学習者はそれらの表現に違和感を覚えるだろう。
中国語の一部の熟語の構造が日本語ほど密接ではない。あいだに別の言葉を挿入できる。これは中国語の言葉の独特な現象である。「動詞+名詞」の語構成が多い。
4.1.4 仏教に由来する同根語
仏教が中国に伝来した時、翻訳作業は欠かせなかった。梵語を音訳したり、意訳の漢語を造ったりずるのにずいぶん苦労した。その中で「根」を含む言葉がかなり多い。
「宗教」はもともと仏教だけを指した言葉であった。「仏滅」は「仏滅度」の省略である。中国での用例は「仏滅」が少なかったが、「仏滅度」の用例(32)は古典書籍に多く確認できた。「滅度」について“灭烦恼,度苦海。涅槃的意译。”と《汉语大词典》に説明してある。「煩悩をなくし、苦しみの海から解脱する」つまり「涅槃する」意味である。日本語に入って、「六曜の一。すべてに凶であるとする日。仏滅日。」という意味が生まれて、日常生活で使われるようになった。
仏教は私たちの生活にすっかり根をおろしている。中国では今無宗教の人が多いが、しかし無意識のうちに、仏教の影響を受けている人が少なくない。仏教用語も同じように日常生活でよく使われているが、仏教に由来する言葉であると意識されないものが意外に多い。
5. 日本に起源した中日同根語
日本で誕生して、中国に伝わった後、どちらか一方に字形、語義、語用に変化がある言葉のグループを「日本に起源した中日同根語」という。
明治維新後、洋学を日本に紹介しようとして、大量の訳語を必要とした。中国から伝来した言葉に新しい意味をつけて訳語にしたほかに、漢字·漢語の意味と形を用いて、多くの新語を造った。それらの言葉はまた中国に輸入され、よく使われ、日本に起源した中日同根語の大部分を占めている。
筆者は次の基準に基づき、日本に起源した中日同根語であるかどうかを判断した。
(ア)日本の文献にはっきりと根拠を示しているもの。
(イ)中国の《汉语大词典》にその言葉あるいはその言葉に関する古典の用例が収録されていないもの。
(ウ)明治維新以前の中国の古典文献に用例が確認されていないもの。
(エ)現在でも中国で使われているもの。
5.1 書き方、意味用法が全く同じである言葉
日本人の造った漢語に、現在の中日両国で書き方、意味用法の全く同じである言葉が数多くある。しかし、同根語とは言えない。発音の問題は別として、同根語には書き方、語義、語用のいずれかに何らかの変化がなければならないからである。次の言葉が挙げられる。
出廷 催眠 短波 公立 公民 否定 副食 概念 固体
光年 国立 化学 幻灯 基地 巨匠 美感 蜜月 年度
硼酸 旋律 汽笛 前提 商法 少尉 社交 失恋 素材
素描 随員 体操 体育 系列 学位 消防 要素 液体
哲学 政党 指数 仲裁 作品 高潮 内幕 小夜曲
二重奏 内分泌 修辞学 大前提 小前提 清教徒 探照灯
消火栓
それらの言葉は日本語学習者にとって最も習得しやすいので、どんな言葉があるか、整理して、抜き出すことはけっして無意味な作業ではないと思う。
5.2 文字の形に違いがある言葉
漢字の形に多少の違いが確認できた言葉は次に挙げられる。
5.3 中国語にあった複合語を使い、造られた新しい言葉
明治時代は、中国の2字複合語を使って、新しく造られた言葉が少なくない。以下の例が挙げられる。
牽引力 牽引車 駆逐艦 軍需品 人力車 入場券 生理学
生活費 人生観 世界観 統計学 社会学 下水道 処女作
剰余価値 正当防衛 形而上学 自然淘汰 人身攻撃
文学作品 流行性感冒
上の造語に含まれている「牽引」「駆逐」「軍需」「人力」「入場」「整理」「生活」「人生」「世界」「統計」「社会」「下水」「処女」「余剰」「価値」「正当」「防衛」「形而上」「自然」「淘汰」「人身」「攻撃」「文学」「流行」「感冒」はもともと中国にあった言葉である。
5.4 日本人の造った言葉は日本で今漢字の表記が使われていないあるいはあまり使われないが、中国でよく使われている
次の言葉が挙げられる。
5.5 意味に違いが見られる言葉
日本で造られた言葉が中国語に入って、意味が変化したものも少なくない。意味の違いが確認できた言葉として、次の例が挙げられる。
「観点」はもともと日本語で「物事を考察·判断するときの立場」の意味だったが、中国語に入り、“从一定的立场或角度出发,对事物或问题所持的看法(33)(ある立場や角度からの、物事や問題に対する見方·考え方)”という意味に変わった。
「攻守同盟」は「二国以上の国が協力して、第三国に対する攻撃や防御を行うために締結した軍事同盟」を意味するが、中国語では、それ以外に「結託した犯罪者が捕まっても仲間をかばおうとして裏切らないこと」というマイナス的な意味が加わった。今この意味が常用されている。
5.6 用法に違いがある同根語(主に品詞性の違いがある言葉)
日本起源の中日同根語は品詞性などの用法において、かなりの違いを確認できた。以下の語例が挙げられる。
6. おわりに
以上「同じ起源をもつ」中日同根語について述べてきた。その中日同根語を大きく「中国起源の同根語」と「日本起源の同根語」に二分し、さらに、字形·語形、語義、用法などにより下位分類した。字形·語形と語義が時代と環境により大きく変化すること、用法の中で、特に品詞性が大きく相違することがわかった。
字形語形、意味、用法が全く同じ言葉が最も習得しやすい。それらはまさに「同形同義語」である。中日同根語の字形と語形が大きく違っているものが多い。字形と語形は言語の基本なので、その教育を徹底する必要がある。中日同根語の意味用法に大きな違いが見られる。それらを明確にして、日本語学習者に知ってもらい、より正しく日本語の漢字語を理解したり、応用したりしてもらえる。
中日両国の一部の書籍や辞書の漢語の語源の説明にはまだ議論する余地がある。中国人も日本語からの外来漢語について知らない人が少なくない。語源と歴史的変遷、文化的な背景がわかれば、知識が広められるし、言葉の習得も面白くなり、言葉に対する理解が深められる。
注
(1)邱學瑾.台湾人日本語学習者における日本語漢字熟語の処理過程:日·中2言語間の同根語と非同根語の比較.広島大学大学院教育学研究科紀要第二部,文化教育開発関連領域.51号,2003,pp.357 365.
(2)邱學瑾(2003)と邱兪瑗(2007)の挙げたすべての漢語について、《汉语大词典》や《中国古籍全录》などを調べて、確認した。
(3)邱兪瑗.台湾人日本語学習者における日本語単語の聴覚的認知——同根語·非同根語·ひらがな単語·カタカナ単語の比較.日本語教育,132号,2007,pp.108 117.
(4)中国古籍全录http://guji.artx.cn/article/31833.html
(5)蔡鳳香·松見法男.中国語を母語とする上級日本語学習者における日本語漢字単語の処理過程——同根語と非同根語を用いた言語間プライミング法による検討.日本語教育,141号,2009,pp.14 24.
(6)http://dic.yahoo.co.jp/guide/jj02/
(7)http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8C%E6%A0%B9%E8%AA%9E
(8)三宅恭子のシリーズ論文は次の3点である。
言語による心的辞書構造の違い.ことばの科学,15号,2002,pp.159 178.バイリンガルにおける概念の活性化と文化的要因.ことばの科学,16号,2003,pp.67 86.
バイリンガル記憶表象研究:定義上のあるいは方法論的課題の検討.国際開発研究フォーラム,29号.2005,pp.47 59.
(9)唐瑛.同根词“玉”文化考察.四川师范学院学报(哲学社会科学版),第04期.2002,pp.9 11.
(10)王盛婷.试说汉魏六朝碑同根葬词.西华师范大学学报(哲学社会科学版),第02期.2006,pp.85 89.
(11)孙玉文.上古汉语词缀构拟析评(上).汉江大学学报(人文科学版),第26巻第3期.2007,pp.39 46.
(12)http://www.hudong.com/wiki/%E5%90%8C%E6%A0%B9%E8% AF%8D
(13)中国大陸と日本の漢字の字形について、第一章き参照ざれたい
(14)張麟声.作文語彙に見られる母語の転移——中国語話者による漢語語彙の転移を中心に(特集作文教育のための語彙研究).日本語教育,140号,2009,pp.59 69.
(15)http://guji.artx.cn/search.asp?main=%BA%AA%B5%A6%D6%AE% B2%BD&xm1=1
(16)全唐诗,卷 301 22.中華書局,1979.
(17)『大辞林』の「野菜」の説明による。以下、注をつけなければ、言葉の意味の説明は全部『大辞林』による。
(18)筆者の言葉。
(19)松村明監修,小学館『大辞泉』編集部.大辞泉,増補·新装版.小学館,1998.
(20)『大辞泉』に載っている「蝦夷管領」の項目の説明による。
(21)『大辞泉』の「防備」の用例による。
(22)『大辞泉』に載っている「浮(き)砲台」の項目の説明による。
(23)http://japan.zdnet.com/paper/story/0,3800075931,10381260,00.html
(24)http://www.sankei.co.jp/seiron/wnews/0703/opi2.html
(25)『大辞林』と『大辞泉』に同じ用例が出ている。
(26)http://www.sanyo.oni.co.jp/newsk/2009/09/08/20090908010011761.html
(27)「朝日新聞」2008年10月20日朝刊 栃木全県·1地方
(28)『大辞林』に載っている「自家発電」の項目の説明による。
(29)『大辞林』と『大辞泉』の「凍害」の項目の説明に使われている。
(30)『大辞林』の「念仏」の用例による。
(31)『大辞泉』の「寓意」の用例に「寓意を含んだ絵」がある。
(32)http://guji.artx.cn/search.asp?main=%B7%F0%C3%F0%B6% C8&xm1=1
(33)《汉语大词典》の“观点”の項目の説明による。
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