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候文与雅文

时间:2023-04-06 理论教育 版权反馈
【摘要】:江户时期的信函一般都遵循一定的格式,这种格式从某种意义上讲也构成了日语中一种特定的文体。下面,我们再结合实例来看一下“候文体”的语言特性。当时的书信范文指南之类的读物将候文和假名文分别称为“俗文”和“雅文”,有的在书中将例文上下分开列举对照,其文体区别一目了然。以上 たまうてとよ以上例文显示了候文与假名文各自所具有的惯用表达法。

江户时期的信函一般都遵循一定的格式,这种格式从某种意义上讲也构成了日语中一种特定的文体。因为这类文章基本是以“候”字结尾,故也称“候文体”。不仅是书信,当时的公文书也几乎都是用“候文体”书写成的。首先,就江户时期的书信格式而言,当时最常见参考书《尺牍集要》中将信函文章的构成细分为如下十八式:

①具体=差出人、即ち自分の名前を書く。

②称呼=宛名、即ち相手の名前を書く。

」と同じで、遠く隔たっていて、なかなか会う機会がないことを述べる。

=相手を懐かしく想い起し、先方を仰ぎ見ている意を表す。

⑤即日=今日のこと。その日の中に事を行うときに用いる語である。

⑥時令=正月から十二月に至る、時候の挨拶に当たるもの。

=「伏して惟みるに」として、次の⑧を導く語。

⑧頌徳=相手の徳を賞讃する語句。

⑨神霜=先方の徳によって、神が感応し、天地自然が穏やかであると述べるもの。

⑩起居=先方の起居を問い、その多幸を祝うもの。

瑏瑡欣喜=先方の多幸を喜ぶ意。

瑏瑢自叙=自分の身の上を述べる。

瑏瑣=「禀」は「申し上げる」意で、少しばかり申し上げたいことがある、即ち、依頼する意を表す。

瑏瑤入事=ここから本題に入って、用件を述べる意を表す語。

瑏瑥臨書=用件の末尾に付す語。

瑏瑦保重=先方の自重を願う意。

瑏瑧=以上述べたことを、よろしく「亮」とせられたいと、改めて了解を乞う段。

瑏瑨結尾=結尾の語句。

以上的构式显然来自中国书简的构成法,俗称“十八式”或“十八法”。下面,我们再结合实例来看一下“候文体”的语言特性。

一書啓達寒威厳敷御座候。愈御壮健御勤被レ成奉二珍賀一候(中略)時候御養生肝心之御事。草々頓首

  十二月五日

       曙 覧

白崎君 御許[9]

以上短短一段中包含了很多候文书简所特有的表达特征,如“一書啓達”“……御座候”“被レ成……”“奉二……一候”是候文所共有的套话;“厳敷”为借字表达;“愈”“珍賀”为书简文中常用的惯用语;涉及对方事物均冠以“御”的“御壮健”“御勤”“御養生”等等。

然而同是曙覧这个人,他在给女性写的书信却用的是不同的文体:

冬に入たちて、まだいくばくもあらざるを、此三四日ばかり、夜ひるのわいだめなう、板戸たたきめくれる、山おろしの音なひの物すごさは、さる物にて、はては今まゐりの白たへをさへ、たちまちさそひきにける、初雪といへば、誰もゆかしがる名なるものから、かうゆくりなく何心あらである木々の枝ども、地のうへにひしぎふせなど、さかしらだちたるしわざものしつるは、うち見いかでか物しからざらん(中略)あながちに人みちびくひがみうせがたしや。かしこ。

かんな月

       曙 覧

おのおのの君御もとに申し給へ

这种假名书信明显是模仿了平安时代女性文学的文体而写作的,而且这种文体在江户时代当时的国学学者、私人等相互之间的书信,或给女性的信函中也是司空见惯的。在这种书信中,不使用“候”字,而代之以“侍り”。而且在用词方面尽量避免用汉语词,而多用“さるもの(=相当ナモノ)”“ゆかしがる(=見タイト思ウ)”“ゆくりなく(思イガケナク)”等含有音变形态的、频现于平安时期文学中的和语(雅言)来组词造句。当时的书信范文指南之类的读物将候文和假名文分别称为“俗文”和“雅文”,有的在书中将例文上下分开列举对照,其文体区别一目了然。例如黑泽翁满的《雅言用文章》(1795-1859年)里的「余寒見舞之文」的范文:

一筆啓上仕候。余寒未 つたなきはしりがきして、みけしきたまはる。

二退兼一候所、先以愈御勇 きさらぎとかや。月の名もしるき此ごろの

勝被レ成二御座一、珍重之御 寒さを。いかゞはしのがせたまふらん。事なう

儀奉レ存候(中略)右 おはすとうけたまはるなん。うれしうおもう

時候御安否相伺度、如 たまふるや。(中略)をりからのおぼつかな

レ此御座候。恐惶慎言 さに。みありさまうけたまはらまほしうてな

猶以微少之至御座候 ん。あなかしこ

得共、浅草海苔致二進 つけて申す。むらさきのりいさゝか。たより

上之候。御入掌可レ被 につけてごらんぜさするを。をさめ

レ下候。以上 たまうてとよ(上巻·二ウ)

以上例文显示了候文与假名文各自所具有的惯用表达法。一般百姓参照这种信函所列范文的上段,很方便地即可引申出下段的文章来,采用何种文体则根据写信的对象而定。“一筆啓上”是当时候文信函中最常用的开头语,而假名文中却没有这种用法。“きさらぎとかや。月の名もしるき”是改写成假名文时按假名文的特点所添加的。“あなかしこ”相当于候文的“恐惶慎言”。“猶”的后面即以“猶”(或“猶々”“尚尚”)开头的所谓“猶々書き”的内容,假名文里没有类似的惯用语,只能以一般的“つけて申す”来代之。

江户时期的妇女写信时一般都依据的是《女初学文章》等假名混合的候文,因为当时妇女多用“まゐらせ候”,故也称为“まゐらせ候文”。但对于喜爱和歌、有王朝文学素养的妇女来说,她们仍偏爱用雅文来写信函。这方面的范文指南书有鹈殿余野子的《月なみ消息》(1729-1788年),顾名思义这是本按月排列的往返书信指南,以下例文是其中「さつき」的回信范文:

することありて下に侍るほどにて、いとあわたゞしかれど、ほそどのゝかたにほのかなりしは、今まうのぼりてこそと、おもひたまふるあひだに、ねたうも侍るかな(中略)さるはこゝろざしことなるしのび音を、さだかにとりなしたまふや、くるしからむ。

しのびねはこゝろしてなけほとゝぎずおもひくまなき人もありけり

ことづてばや(一七ォ·一七ウ)

(=用事がアッテ局ニ居リマシタ時ニ、ホンノ短イ間デハアリマシタガ、細殿ノ方角デカスカニ時鳥ガ鳴キマシタノデ、スグニ参上シテ申シ上ゲヨウウト思ッテイル矢先ニ、(先ヲ越サレテアノヨウナオ便リヲ戴イタノハ)残念ナコトデス(中略)私ガ独リッデ聞イタ忍ビ音ヲ、初音ヲ聞イタト認メテ下サルカドウカ難シイデショウネ。

時鳥ヨ、忍ビ音デ鳴クトキハ、ヨク注意シテ鳴ケヨ。思ヒヤリノナイ人モイラッシャルカラ。コノコトヲ、何トカシテ時鳥ニ伝エタイモノデス。)

上例也与曙览的信函一样,用“侍”代替“候”,而且频繁使用“たまふ”等尊卑表达,并插入和歌等等,这些都是假名体信函的表达特征。

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