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“和汉混淆文”的问题

时间:2023-04-06 理论教育 版权反馈
【摘要】:在日语文体史中,曾有“和汉混淆文”这一概念,其定义基本有以下3种:日语文体的一种。有种观点将《平家物语》视为“和汉混淆文”的代表,对此前田富祺提出了不同的意见,认为《平家物语》的文体并不单一,而是随情节和文章内容的需要不断地变换文体的大杂烩。“用語として、漢語を摂取することは文体の質に変更を加えることになるのであろうか”,表示了对“和汉混淆文”概念的置疑。

在日语文体史中,曾有“和汉混淆文”这一概念,其定义基本有以下3种:

(1)日语文体的一种。在和文中适当地混用汉语。

(2)日语文体的一种。是和文要素与汉文训读要素相混合的文体。确立于院政时期以后,多见于说话集和军记中。

(3)日语文体的一种。在汉语系统、汉文训读文系统的文体与和文系统的文体混用的基础上,加入后世的俗语和语法而成的文言体的一种。平安时期达到鼎盛,军记物语、中世说话文学、近世小说等中世以后的文章几乎全属此文体。

这种分类虽然显示到了日语的特点,但相互之间的概念多有矛盾的地方。所谓“和文”的要素,除不用汉语、无汉文朗读时的生硬感等外,还如山田俊雄所指出的那样,“主語をあまり明示したりしない半面では、敬語が多く使われることもあり、また助詞·助動詞の用い方など、多様でもあり、それらが複合したもの少なからぬ”以及“文脈の展開していく筋途を、接続詞などで、あまり論理的に明示しないのも、和文の本来の姿で、女性の手にかかるものだったら、現代の日本語に比べて、はなはだ晦渋でさえある。晦渋といって悪ければ、あまりに情緒的で、心理の明滅に忠実な文脈だ”。(山田俊雄1977:259)

至于汉文训读的要素有哪些呢?参考山田孝雄的《漢文訓読によりて伝へられたる語法》(1935)所列,大体有以下几项:

ごとし·かくの如し いはく·おもへらく ねがはくは·をしむらくは いはゆる なんなんとす かへんなん

なんすれぞ なかりせば·なかつせば しかり·しかれども しかうして しむ·して べし·べからず·すべからく あに いまだ かつ かつて けだし すでに すなはち むしろ もし·もしくは あひ あへて いたりて·きはめて すべて·はたして よりて 幸に·しきりに·みだりに あるひは および·ならびに おいて ために ゆゑに·ゆゑん もつて ところ いへども 欲す

がへんぜず あたはず のみ いはんや これあり·これなし 再帰格の「これ」

那么,如此一来,很多文本或多或少都有这些因素的存在,似乎这种称呼适合于所有的日语文体,故多有存异。不仅是词语选择的原因,在辞章的结构上也存有同样的问题。有种观点将《平家物语》视为“和汉混淆文”的代表,对此前田富祺提出了不同的意见,认为《平家物语》的文体并不单一,而是随情节和文章内容的需要不断地变换文体的大杂烩。如《平家物语》开头最有名的一段,实际上只有“祇園精舎”“諸行無常”“沙羅双樹”“盛者必衰”这四组词是汉语读音的,而其整个基调却是和文的,在其他段落里也常有流利的、七五调的和文。但不容否认的是,在关键的地方使用汉语,且重复对偶句的表现方式确实让人感到汉文的影响。

“用語として、漢語を摂取することは文体の質に変更を加えることになるのであろうか”,表示了对“和汉混淆文”概念的置疑。森鸥外在「本堂学人が文のはなし」也谈过对此问题的看法:

大掖の芙蓉、未央の柳とは源氏物語に見えたり。是れ漢語の国文に入りたるなり。栄花物語に児啼を形容して、呱々としたるもおなじ。又阿伽棚といふ語は徒然草に出でたり。是は梵語の国文に入りたるなり。木堂学人はこれを挙げて、何事をか証せむとする。世界万国の文、いづれか語を域外に取ることなからむ。国語にて達すべからざる目的を達せむために、域外の語を借来るを可とするは、近時独逸などにかしましかりし外国語問題の骨髄なり。我国文を作るとき、支那語、印度語、欧羅巴諸邦の語を倩はむときも、此用心だにあらば、何の宜からざることかあらむ。漢学先生これを責めず、和学先生これを責めず、洋学先生はたこれを責めざるべし。されどこは唯一つ 離れたる語の上の事のみ。文法は語を連ねて文となす時の事なれば、これに殊なり。域外の語、国文に入ることあればとて、新文法は成らざるべし。[2]

表示并不能因为用了几个词语就谈根本上改变了文体。因此,以下的观点对于我们探讨日语文体时是值得参考的:[3]

文体の一種としての「和漢混淆文」とは、「和文」ならざるものを包含する文章というにとどまるものであって、一つの文体として、それを確立したものとは認めがたい。「和漢混淆」は、すべての時代について、程度の差としてあらわれており、ことに現代の文章語は、「漢文の訓読によりて伝へられたる語法」を、むしろ主軸にしているという点から、「和漢混淆」である。また言いうべくんば、「和漢洋混淆」と称する方が正しいであろう。

和汉混淆作为一个影响日语文体的辞章因素贯穿了日语文体形成发展变化的始终,可以说日语的每种文体中都有它的因素,所以将其视为一种文体是有待商榷的。

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