谈论文章体与口语体的差异,首先要解决如何划分它们的问题。我们在前面的语体分类部分已就这个问题进行过探讨。我们认为,从语言特征方面来看,仅从表达媒介的角度,用“文字语言”和“声音语言”的说法来分类是远远不够的,因为它并不能解决文体学所要说明的问题。通俗地说,它说明不了为什么人们说话有时要“字斟句酌”,而有时却只是“信口开河”,也解释不了为什么有的文章“深奥难解”,有的则“通俗易懂”便可。因此,我们除了使用表达媒介这把“大斧子”来“快刀斩乱麻”外,还必须对“文字语言”和“声音语言”做进一步的具体分析。比如,“声音语言”中的演说、做报告、致辞、广播电视的解说词等文体上接近于文章,而“文字语言”中的小说的对话部分、剧本、一部分的私人信件等文体上则属于或接近于口语。所以文章体和口语体的区别,不全部取决于表达媒介的不同,它还受到“表达态度”的左右。所谓“表达态度”,就是我们前面说谈到的表现方式,即说话作文时语言主体的态度。同样是“声音语言”,与朋友聊天时的态度和对着几百人演讲时的态度是截然不同的,写剧本和写学术论文的态度也不尽一致。这种“表达态度”也是引起文体差异的原因。前面我们提到,引起文体差异的“表达媒介”和“表达态度”这两个原因是既有联系又有区别的,有时它们联合起作用(前者引发后者,此时为一般情况),有时其中之一起主要作用(后者逾越前者,此时为特殊情况,如演说、剧本等)。不过,这其中有一个差异程度大小的问题。这就是说,两个原因联合起作用的情况下,差异比较明显,后一原因起主要作用的情况下,差异相对小一些。
其次,我们还应考虑典型与非典型语体的差别,这一点我们前面也提到过。传统上的文章体和口语体的说法实际上是带有典型性视点的说法。传统上所说的口语体系典型的口语,也就是传媒和表达方式都是口语的口语,而传统上的文章体也是传媒和表达方式都是书面语的文章体。这两种极端或纯粹的情形无疑大量存在,但也有中间状态的存在,即还存在传媒和表达方式两相结合下的次范畴语体。有的口语语体相当正规,如前述之日语的演讲报告;有的介于正规和随意之间,如一般的采访:有的就十分随意,如熟人朋友之间的聊天。就这样几个口语语体来说,越靠后的越典型。而在书面语内部,我们可以区别法律条文和文书、学术论文、报纸社论、散文、小说、戏剧等类型——越靠前的似乎越典型。而且,所谓口语体和文章体在现代语言中也并非截然“一分为二”的,它们之间存在交叉和连接的部分,是一个连续体,其差异也只是表现在程度上而已。所以,我们在讨论它们的差异问题时恐怕还会遇到一些具体问题。
首先,不容置疑的是,声音和文字这两种不同的语言媒介是引起文体差异的首要原因。声音是借助听觉、以时间的方式存在,它瞬息间产生又瞬息间消失,具有变动性和一次性的特点;而文字是借助视觉、以空间的形式存在,一旦产生后就不容易消失,具有恒久性和反复性的特点。同时它们的传送方式也是不同的:前者属直接性、即时性,但传送范围受限性大;而后者则属间接性、缓时性,但传送范围受限性小。它们的这些不同特性,为语言的使用者有意无意地加以利用,并有形无形地影响语言使用者的表达态度,从而造成表达形式——即文体的差异。当然,这种利用和影响并不一定都是积极的,有时可能是消极的。比如,声音语言的使用者往往会自觉不自觉地“受害”于声音的上述特性,说起话来往往不够规范、不够齐整,有时甚至“语无伦次”。下面就让我们通过一段“谈话”来观察一下“声音语言”的文体特色:
えー、恋愛に関しましてはですねぇ、私もかなり大家なんですけれども、あのォ、やっぱり一番つらいのは、なんというでしょうか、他の事情で引き裂かれる、ね、引き裂かれる。よく小説にあるでしょ。かわいですですよ、これは。こらえて別れるくらいなら、罵りあって別れなさいって言葉があります。いっそね、その方が傷が残らなくていいなんていいますね。あの野郎!いやなやつだったなあ、思い出したくもねぇやったら、思い出さないんです、あんまり。ところがね、いいだったのになあ。あれはおれ悪かったんだとね、ああ、あたしが悪かったんだわあなんて、ずうーツと覚えててごらん!結婚して子供ができてからもまだ覚えている。そういえば、この子、あの人に似てるわあ。これはもめるよォ。
(さだまさし《噺歌集》)
以上这段文字是尽量如实地记录下来的一个歌手在演唱会演唱的间隙里对台下观众的一段讲话。据此不难看出,歌手为了获得与观众“水乳交融”的效果,除了用歌声打动观众外,还想通过这样的“插科打诨”来感染观众,因此歌手使用了与日常会话无异的纯粹口语体。这种日语口语体的语言特点,大体有以下几点:线表示的出现于句前或句中感叹词。②……线表示的句末形式。线表示的词句的简缩形、省略形、音便形、长音形、强调形等。线表示的反复句或倒装句。如此频繁地使用这样一些表现形式,可以说声音这一语言媒介的特色得到了充分的体现,同时说话者的表达态度也被明显地反映了出来。这种态度说得不好听一点,是一种说完了事的“闲聊态度”,反而言之,就是没有半点“文章意识”,也即是说这种文体与文章是完全无缘的,属于典型性的口语。我们可将之称为“谈话体”或“闲聊体”,日常的会话语言也可归入这类文体之中。这种“谈话体”的语言特点,除了上面所示的几点外,还常常有被称为“不整表现”的“どうぞ、こちらへ”(以指代词结句)和“大阪で、ふぐを、はじめてだった”(省略了“食べたのが”)等。但是基于日语的特性,我们若是要讨论口语体和文章体的差异问题的话,这种“谈话体”和“文章体”显然差距太大,对它们进行比较的必要性和意义都不太大。为此,对这种语体意义上的日语文体可分为三个次范畴,如:
a.もう決めちゃった。
b.もう決めてしまった。
c.すでに決定済みである。
a句相当于这里所说的“谈话体”,b句为狭义的口语体。c句不用说便是文章体了。现在看来,可以说a句和c句分别属于“声音语言”和“文字语言”的“专利品”,而b句则“一身二任”,即是说b是可以同时使用于口语和文章的“通用品”,它的存在可以为是现代建立了“言文一致体”(或称作“通用型文体”)的一个标志。打个也许不太适当的比方说,就是a=录音(只有声音);b=录像(声像兼具);c=照片(只有图象)。因此,显而易见,有意义的比较只限于在a和b或b和c之间。我们上面所列举的“谈话体”的种种特点,正是a和b比较的结果,而并非a和c比较的结果。由此看来,我们在这里要谈的口语体与文章体的差异,其实也正存在于b和c之间。这也即是将“谈话体”从“口语体”中暂且分离出来的缘故。那么,比较之下口语体和文章有哪些的差异呢?下面我们来两段内容相同的文字:
a.参議院自由民主党は、あたらしい役員について、党内各派の意見が一致しないまま、きょう午後1時40分、院内で特別議員総会を再開しました。この席上、野村議員会長から、後任の会長に、吉野信次郎氏を推薦しました。そして出席した議員もこれを了承しました。ついで、新しく選ばれた吉野会長から、幹事長に伊能繁次郎氏が指名され、総会もこれを了承しました。なお、政策審議会長や国会対策委員長などは、吉野会長が今後各派の意見を聞いて、あたためて議員総会にはかることになりました。
b.参議院自由民主党は、新役員につき、党内各派の意見不一致のまま、きょう午後1時40分、院内において、特別議員総会を再開し、席上、野村議員会長より、後任会長に、吉野信次郎氏を推薦し、そして出席議員もこれを了承し、新任吉野会長より、幹事長に伊能繁次郎氏が指名され、総会もこれを了承したが、政策審議会長·国会対策委員長などは、吉野会長が今後各派の意見を聞き、あたためて議員総会にはかることとなった。
(岩渊悦太郎《悪文》)
a文是电台的新闻广播稿,b文是据此改写的文章。与口语体的a文相比,文章体的b文做了以下几点改动:①a文由四个句子组成,b文则变成了一个长句。②因此,“この”和“そして、ついて、なお”等接续性词语被省略掉了。③结句形式由“であります調”变成了“だ調”。④词语上也发生了变化:或者“あたらしい役員”→“新役員”,“新しく撰ばれた”→“新任”,“……など”→“……等”(由汉语变为和语);或者“後任の会長”→作“後任会長”,“出席した議員”→“出席議員”,“一致しないまま”→“不一致のまま”(对语句进行了“压缩”)或者“……で”→“……において”、“……について”→“……つき”、“……から”→“……より”、“……ことに”→“……ことと”等等。
可以说这些变化都属语言上的变化,而且造成这些变化的原因也是不难理解的。首先,在词汇的层次上就存在着口语语体和文章语体的区别,这就给造成口语体和文章体的差异提供了客观的语言材料。其次,表达媒介的不同则使得表达者主观上有意无意地接受到影响,从而造成他(她)采取不同的“表达态度”。“表达态度”的不同所引起的文体变化,除了反映在上述种种语言材料的选用上外,还会反映在文章整体的叙述方式、表现方法等上。下面让我们再通过两段作者相同、内容相同的文字来分析这个问题。
c.これは坪田譲治の「風の中の子供」の一節ですけれども、ご案内のように、この作品の主人公の父親、青山一郎という会社の専務が陰謀にはまって私文書偽造の罪を着せられて、警察に引き立てられてしまいまして、それで家の財産も差し押さえられて、執筆吏の手で会社に運び込まれて、空き家同然になる。そこで、一郎の妻、つまり、ここに出てくる善太、三平のお母さんは、お父さんもいつ警察から戻るかわからないので、働きに出ないといけないんだけれども、善太というのが五年生で、三平というのが一年生なんですが、三平の方は、働く上で少し足手まといになりますので、医者をしている自分の兄の所へ預けるわけです。その兄というのが、鵜飼といって、「鵜飼のおばさん」という形でこの中にも出て来ますが、ともかく上の子の善太に手伝わせながらお母さんは働きに出ようと決心するわけです。
ところが、一度預けられた三平というのが大変腕白坊主で、その鵜飼家でどうも厄介物者に思われているらしいことを察しまして、高い木に登って自分の家の方角を見ていて、そのまま日が暮れても降りてこなかったり、ある時は、たらいに乗って、ずっと川を流れて行って皆を大騒ぎせるとか、あるいは河童を見るといって姿を消してしまいには村中の男が集まって池の中とか森とか田とか谷とかにかけての大捜査が始まる。といったようなことで、すっかり手を焼いた鵜飼家では、ちょっとある子は預かりきれないというわけで連れ戻しに来るという場面です。
d.会社の専務青山一郎は陰謀にはまって、私文書偽造の罪を着せられ、警察に引き立てられる。そして、家の財産も差し押さえられ、執筆吏の手で会社に運び込まれて、空き家同然になってしまう。その妻は、まだ一年生で足手まといになる下のの子三平を、自分の兄にあたる鵜飼という山奥の医者の家に預かってもらい、五年生になる上の子の善太は家事を手伝わせながら、自分は働きの口をさがそうと決心する。
ところが、連れて行かれた三平はおとなしくしていない。自分の父が厄介物扱いにされかかっている会話が聞こえて来る鵜飼家を飛び出し、お母さんと兄の善太のいる自分の家の方角を眺めようと、高い松の木に登ったまま、日が沈みかけても下りて来ない日がある。たらいに乗って、ずっと川を流れて行き、皆を大騒ぎさせることもある。河童を見るといって姿を消し、村中の男が集まって池の中や森、山から谷とかにかけての大捜査が始まることもある。引用箇所は、すっかり手を焼いた鵜飼家では、この子は危なくてとても預かりきれないと、三平を自宅に連れ戻す場面であり、昭和11年10月17日付の東京朝日新聞に連載の第26回として掲載された部分の前半に相当する。
(中村明《省略の文体論》)
这两段文字,c是讲演的记录稿(公开发表),d是学术论文的一部分,这两层文字除了与上述a文和b文在使用语言材料上存在相同的差异外,还存在以下几点更具根本性的差异:①“接受主体意识”的有无或浓淡的差异。就是说表达者是否或者是否明确地意识到接受者的存在的问题。由于c是直接面对听众的讲演,所以它表现出明显而强烈的“接受主体意识”,其证据是在语言表达上使用照顾听众的说法,如“ご案内のように”、“……わけで(す)”等前置性、解说性的口吻,或者“……というのが五年生で、……というのが一年生です”“その兄というのが、鵜飼といって、……”之类的所谓“缓冲性”的语句。而作为学术论文d文,没有具体的“接受者意识”,很大程度上是“背对”读者的,所以用不着照顾这照顾那,使用“开门见山”的、“直截了当”的说法便可。②视点的固定与变动的差异。就是说口语体的话语在叙述时往往会变动视点,即从不同的角度来叙述同一个人物或事物,而作为文章体的b文则始终保持固定的观点。如c文中有“一郎の妻、つまり、ここに出てくる善太三平のお母さんは”这样的话,不但从“丈夫”的角度,也从“儿子”的角度来叙述同一人物“お母さん”。与此相对,d文以“青山一郎”开始话题后,便以“その妻”这样的表现来承接前文,在保持固定视点的情况下展开叙述。③语言表达上严谨与模糊的差异。比如,c文使用了“医者をしている自分の兄”这样的双义(“医者=兄”或者“医者=自分”)句,但d文则有意避免这种模棱两可的说法,而使用了与其学术论文的性质相符的严谨明确的表现:“自分の兄にあたる鵜飼という山奥に医者の家”。④客观性表现与主观性表现的差异。这一点表现在叙述同一件事情时,口语体的c文使用了诸如“どうも(厄介者に思われている)らしい(ことを察しまして)”这样的直接表达说话者的推测或判断的主观性很强的表现,而作为学术论文的c文使用的则是“自分の父親が厄介者扱いにされかかっている会話が聞こえてくる”这种直接叙述事实、避免主观推测的客观性极高的表现。当然,如不避繁絮,差异点还可以举出许多,但举出再多的差异点,也只是为了进一步证明上面已反复申述过的一个道理:文章体和口语体的差异归根结蒂是来自于“表达态度”的不同,至于“表达媒介”可以说只是引发不同的“表达态度”的客观因素而已。即我们在前面所指出的那样,表达方式可以和表达媒体无关。
【注释】
[1]参阅松原純一(1985)第150-170页。
[2]对此前田富祺提出了不同的意见,认为整个基调却是和文的。
[3]参阅山田孝雄《漢文訓読によりて伝へられたる語法》(1935)。
[4]以下例文除注明者外,皆转引自斉藤希史(2005)。
[5]参见桦岛忠夫(1979)第8-9页。
[6]参见《講座日本語と日本教育第5巻》,第33-35页。
[7]以下例文除注明者外,皆转引自加藤彰彦(1984)。
[8]转引自加藤彰彦(1984)第128页。
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