所谓简单句指的是由一个主语和一个谓语构成句子基本框架的句子。本来简单句应该是很“简单”的。比如:
芭蕉は俳人である。
但是,只要是S-P结构,无论在主语或谓语前面加上多少修饰成分,都改变不了简单句的性质:
少年時代から私の胸に描いて居た芭蕉は、一口に言えば尊い「老年」であった。
在这里“少年時代から私の胸に描いて居た”是主语的修饰句,“一口に言えば尊い”是谓语的修饰句。所以这样的句子不能说是很“简单”的。更有甚者:
しかし、実際には、昔の五円の値打ちもないことを知っているつもりのぼくらでも、銭単位で金を使うことの慣れてきたものは、一円玉が道に落ちていてもだれも拾う人がいなくなるほど情けないことになっているのが、なかなか実感としてのみこめません。
(中村光夫《金銭と精神》)
这个句子从理论上讲还是“简单句”,但实际上已经相当“复杂”了。因此,抽象地谈“简单句”的问题,在文体学上是没有什么意义的。这样的时候,我们必须注意的是那些不带或不带太长的修饰成分的“真正的”简单句,尤其是在它们被连续使用时具有什么样的文体效果。比如:
三四郎はここで木戸をあけた。庭のまん中に立っていた会話の主は二人ともこっちを見た。野々宮はただ「やあ」と平凡に言って、頭をうなずかせただけだる。頭に新しい茶の中折れ帽をかぶっている。美禰子は、すぐ、「はがきはいつごろ着きましたか」と聞いた。二人の今までやっていた会話はこれで中絶した。縁側には主人が洋服を着て、相変わらず哲学を吹いている。これは西洋の雑誌を手にしていた。そばによし子がいる。……
(夏目漱石《三四郎》)
从上面这段文字,可以看出简单句比较适合于描写人物的动作、状态,并可取得表意明确,直达干脆的文体效果。尤其是像上面这样的情况,即描写在同一场景里的几个人物时,简单句就更具有照顾周全的特点。另外,用简单句勾画人物形象也可收到良好的文体效果:
禅智内供(ぜんちないぐ)の鼻と云えば、池の尾(お)で知らない者はない。長さは五六寸あって上唇(うわくちびる)の上から顋の下まで下っている。形は元も先も同じように太い。云わば細長い腸詰(ちようづ)めのような物が、ぶらりと顔のまん中からぶら下っているのである。
(芥川龍之介《鼻》)
简短的几句话就把一副“丑陋”的嘴脸活灵活现地勾略了出来,给读者以一种新奇、幽默的感受。
最后,简单句有时还可放在段落或文章的末尾,以表现某种强有力的终结:
今すぎてゆく小さな町の生垣。明石の松林の彼方に赤錆びて立っている大工場の廃墟。それらをひろ子は消されない感銘をもって眺めた。日本じゅうが、こうして働きつつある。ひろ子は痛切にそのことを感じるのであった。
(宮本百合子《播州平野》)
或者对故事的结局做简明扼要的归结:
その夜は私はもう一夜戸倉の旅館に泊った。そして私は清子にやはり東京で働いてはどうかという手紙を認めた。夜半から時雨は烈しい雨に変った。
(井上靖《姨捨》)
与此相对,在表达事物间的种种关系或人们复杂的心理活动时,复合句就远比简单句得力得多。所谓复合句指的则是那种由两个可各自独立的简单句组成的句子。就日语的复合句而言,由于其组成的方法不同,有同位句和从属句之分。前者如:
芸術が商業主義の支配のもとにあり、宣伝と区別がつきにくくなっているのは、いまさら言うまでもありませんが、科学の領域でもまず巨額の金を注ぎ込まなければ、仕事が始まらぬ部門が次第に増えているようです。
(中村光夫《金銭と精神》)
句子的骨架是这样的:“芸術が”(S)“……言うまでもありません”(P),“科学の領域でも”(S)“……増えているようです”(P),而“が”则起到了连接两个句子的语法作用。也即是说句子为S—P+S—P型。这种同位结构的句子,前句和后句一般是可以对调的,但句意有时会发生变化。
后者如:
道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思う頃、雨脚が杉の密林を白く染めながら、すさまじい早さで麓から私を追って来た。
(川端康成《伊豆の踊子》)
这个句子“……思う頃”为从句,其之后则为主句。其结构为(S—P)+S—P型。这种主从结构的句子,前句和后句是一般不可对调的;如对调则会产生特殊的修辞效果。关于这一点暂且不谈,先谈正常情况下的复合句。对此小林英夫指出:一般都说复合句是进行详尽描述的有力手段,但是详尽描述通过简单句的连续使用也是完全能够实现的,志贺直哉等人就是善于这样做的高手。因此,复合句的功能与其在于详尽描述,倒不如说倾重于表现作者的主观思索。我们认为更进一步说就是,复合句的功能在于赋予事物和事物、思想和思想之间某种内在的逻辑关系。比如下面这个句子:
現代の金銭は、人間生活のあらゆる分野を支配する点では、かつてどの時代にも持たなかった力を持っているとともに、以前にあまり明らかでなかった一つの性質をはっきり示しています。
(中村光夫《金銭と精神》)
这是一个同位复合句。句子通过“ともに”这个词将前后句连接起来的同时,表达了作者对金钱力量在现代的“空前增大”与其本质的“清楚显露”之间关系的认识。这时它不同于有简单句表达的效果是,重点在于告诉人们两者之间的“内在关系”,而不是两者各自的“客观事实”。如果用两个简单句来表达,尽管在两句之间可以用“それとともに”来连接,其效果也是以传达“客观事实”为主的。这其中的微妙区别,我们仔细斟酌一下是不难体会出来的。又如:
1992年には米国のパーソナル·コンピュータ市場の回復とともに、日本の半導体輸出が前年に比べて増加したが、日本国内の半導体市場は家電製品やAV電器の不振の影響を受けて低迷した。
(JETRO《NIPPON1993》)
虽然这同样是一个同位复合句,但它与上一例句性质有所不同:它表达重点在后句,主要是告诉人们日本国内半导体市场不景气,句子的意思是“负面性”的。这一点通过对前后句的对调,就能看得更清楚:
1992年には日本国内の半導体市場は家電製品やAV電器の不振の影響を受けて低迷したが、米国のパーソナル·コンピュータ市場の回復とともに、日本の半導体輸出が前年に比べて増加した。
这样一来,虽然“客观事实”依然如故,但句意是截然不同的。因为它已变成了“正面性”的、即做肯定性评价的句子。由此可见,复合句与其说是表现客观事物的,倒不如说更侧重于表达主观评价的观点是站得住脚的。关于这一点,让我们再看看以下几个更简单一些的复合句,想必就不会再有什么疑问了:
A.彼は白い歯をしているがふぞろいである。
B.彼の歯はふぞろいではあるが白く光っている。
C.彼は清潔な青いシャツを着ているのにいつも袖口がすりきれている。
D.彼は袖口がすりきれてはいてもいつもッ清潔な青いシャツを着ている。(樺島忠夫《表現の解剖》)
显然,从句意上来看,A句均是“マイナス”的,而B句则均是“プラス”的。那么,接下来的问题是主从结构复合句的情况如何呢?我们知道日语主从结构复合句的正常语顺是从句在前主句在后。对此小林英夫认为它反映了日本人优先考虑他人、照顾他人的“国民性”。也即是说,在表达中心意思的主句之前,先提出属于附加条件、情况说明性质的从句,目的是为了对方能事先做好某种心理准备。至于这一观点的妥否,在此不欲追究,只想强调的一点是:与英语等不同,这一原则在绝大多数情况下是受到严格遵守的,只有在极少数的情况下才被打破。这种现象主要出现在文学语言当中。比如芥川龙之介和岛崎藤村就比较喜欢使用打破常规的“从句结尾句”。下面就让我们来看一些他们的例句。芥川的:
——こうなれば、もう誰も笑うものはないに違いない。内供は心の中でこう自分に囁いた。長い鼻をあけ方の秋風にぶらつかせながら。
(《鼻》)
僕はなぜかはっきりとこう言う対話を覚えている。それから僕等の半町ほど向うに黒ぐろ和んでいた太平洋も。
(《彼》)
Kは寄宿舎の硝子窓を後ろに真面目にこんなことを尋ねたりした、敷島の煙を一つづつ器用に輪にしては吐き出しながら。
(《彼》)
藤村の『夜明け前』
こうした出迎えにも、古い格式のまだ崩れずにあった当時には、誰と誰は何処までというようなことをやかましく言ったものだ。例えば、村の宿役人仲間は馬籠の石屋の坂あたりまでとか、五人組仲間は宿はづれの新茶屋までとかいう風に。
寿平次等は本陣の焼跡まで行って、そこに働いている吉左衛門と半蔵とを見つけた。小屋掛けをした普請場の木の香の中に。その勢いで木曽の奥筋へと通り過ぎて行ったのだ。轍の跡を馬籠峠の上にも印して。
藤村的:
こうした出迎えにも、古い格式のまだ崩れずにあった当時には、誰と誰は何処までというようなことをやかましく言ったものだ。例えば、村の宿役人仲間は馬籠の石屋の坂あたりまでとか、五人組仲間は宿はづれの新茶屋までとかいう風に。
寿平次等は本陣の焼跡まで行って、そこに働いている吉左衛門と半蔵とを見つけた。小屋掛けをした普請場の木の香の中に。その勢いで木曽の奥筋へと通り過ぎて行ったのだ。轍の跡を馬籠峠の上にも印して。
(转引自小林英夫《言語美学論考》136页)
以上列举了两位作家使用的从句结尾句,尽管它们形式上相同,但内容上却反映了两种不同的倾向:在芥川来说,从句结尾句中包含着一种狡黠用意:不留情地推翻读者平庸的推测;而在藤村来说,只是沿着读者思路,进一步叙述已事先预想到的事物而已。然而,所有的从句结尾句有一点是相同的:较之于正常句,它能给读者造成某种紧张感。即是说由于条件出现在后,所以读者在没有读完之前,没法置以可否,而不得不怀抱不安的心理。
免责声明:以上内容源自网络,版权归原作者所有,如有侵犯您的原创版权请告知,我们将尽快删除相关内容。