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雲南大学で日本語を教える

时间:2022-01-26 理论教育 版权反馈
【摘要】:私は2009年9月から雲南大学で日本語を教えている。雲南大学に在籍して今年で 7 年が経った。7 年間を通じて感じた雲南大学の校風は、簡単にいえば自由であるということだ。雲南大学の学生も同様だ。それは雲南大学や父母に対する責任であるし、ひいては社会や国家に対する責任でもある。雲南省では日本語人材を必要とする日系企業自体、数えるほどしかない。

榎本雄二

自主自立の学風

私は2009年9月から雲南大学で日本語を教えている。雲南大学に在籍して今年で 7 年が経った。7 年間を通じて感じた雲南大学の校風は、簡単にいえば自由であるということだ。先生方や事務局の方々は、学生に対して過度な干渉をしない。彼らの自主自立を尊重している。かといって校紀が乱れることもなく、学生たちは自分で道を見つけ、自主的に勉強している。

教師に対しても同じだ。事務局の方々は教師に対して最低限の要求をしながらも、教師ぞれぞれの教学方針を尊重している。外国人教師に対しても、教師の自主的な教学方法を重んじてくれるため、教師自身の考える最も適切な方法で教育することが許されている。その一方で、異国での生活で不自由をしているだろう外国人教師に、何かと配慮もしてくれる。特に私の場合は日本人であるため、中日関係が悪い時期には特段に気を遣ってくれた。同僚である日本語科教師の人々も、外国人教師を常に仲間として扱い、様々なアドバイスをしてくれるし、問題があれば解決してくれる。7 年間も雲南大学で働いてこられたのは、大学に従事する人々が持つそのような温かさがあってこそだと考えている。

雲南大学は教師としての私に、自由を与えてくれた。自由にできるということは、管理されないということである。なぜ管理されないのか。それは、「自由にやらせても成果を上げてくれる」という期待があるからだろう。つまり、自由を与えられた者は、その期待に応える責任を負うことになる。

雲南大学の学生も同様だ。学生たちは自由であると同時に、責任を負っている。それは雲南大学や父母に対する責任であるし、ひいては社会や国家に対する責任でもある。大学時代にそのような責任感を養う訓練をするのは大切だ。その経験は、社会に出たときに必ず役に立つに違いない。このような校風は、まさに「会泽百家、至公天下」という建学方針と通じるものがあるだろう。

ちなみに私が卒業したのも自由な校風で有名な大学だった。当時の私は、自由の意味をはき違え、まさに好き勝手に行動していた。要するにろくに勉強もせずに、自分の好きなことをやって大学生活を送ってしまったのだ。私の在籍した学部では 1 ~ 2 年生の間、中国語の授業が週 4 回あり、きちんと勉強すれば 3 年生になる頃にはペラペラになっていてもおかしくない。それなのに私はろくに勉強せず、結局「你好」や「再见」、「我爱你」ぐらいしかしゃべれなかった。卒業してから何年かして上海へ語学留学をして、やっと少ししゃべれるようになったのだが、これは時間と金の無駄以外の何物でもない。

そんな経験があったものだから、学生たちが真面目に勉強している姿を見ると、襟を正したくなる。本来は逆の立場であるべきだろうが、教師である私が、学生を尊敬のまなざしで眺めているのだ。

日本語学習のモチベーションを高めにくい現状

もちろん、中には勉強に対して消極的な学生もいる。しかし、そんな学生に対しても、まるで以前の自分を見ているようで、いとおしく感じる。勉強に対して消極的になる学生の気持ちが良く分かるからだ。数年後には卒業して社会人の仲間入りをしなければならないのに、かつて思い描いた理想の大人には程遠い現状の自分自身がいる。たった数年の大学生活の勉強だけで、理想の大人になれるのだろうか――。そんなことを考えると、目の前の学業が無意味に思えてくる。ましてや、語学はコツコツと長時間にわたってやらなければならない地味な勉強だ。投げ出したくなる気持ちはよく分かる。

さらに言えば、日本語学習者にはいくつかの障害が横たわっている。最も気がかりなのは、日本語科学生のモチベーションが下がり続けていることである。

以前は、日本語科の学生には学習の動機になるものがそれなりにあった。しかし、最近はそういったものがめっきり減少している。かつて上海に留学していたから知っているが、1990 年代において中国の日本語科学生の主要なモチベーションは日本の経済力にあった。就職に有利だったし、日本経済の強みについて学びたい学生が沢山いたのである。2000 年代に入るとアニメ、マン

ガが注目され、それがモチベーションにつながった。ところが 2010 年代に入ると、経済もアニメもパッとしなくなってきた。確かに今でも日本のアニメは多くの中国の若者の間で人気がある。とはいえ、かつてほどではなくなってきているのである。日本のアニメファンは、中国ではマニアに近い位置づけになりつつある。むしろ韓国の K ポップや韓流ドラマのほうが新しく、クールだと思われているようだ。

そんな状況に加えて中日間の歴史問題がある。そして就職はさらに厳しくなっている。雲南省では日本語人材を必要とする日系企業自体、数えるほどしかない。

2009 年当時は希望に反して日本語科に入った学生は少数派だったが、

2012 年以降は半数を超えてしまった。彼らは本来、経済や法律、英語などを学びたいと考えていた学生である。

日本語学習のモチベーションを上げるために

そんな状況の中で、どうすれば学生のモチベーションを上げられるのか。私は、彼らの 10 年後の姿を想像した。10 年後の彼らが幸せな顔をしているビジョンを思い描いたのである。このとき、彼らが幸せなのは、それなりの給料をもらい、それなりに好きな仕事ができているからだろう。では、そんな将来になるためにいま、彼らは何をすればいいのか。

現在、中国は経済調整期にある。「新常態」に対応するための「転型」が経済にも人々にも求められている。その中で求められる人材は、イノベーティブな思考の下、イノベーティブなものが作り出せる人だろう。ならば、今後中国でますます必要とされるイノベーティブな人材になればいい。他人の模倣でなく、独自の発想、または独りよがりでない思考力。それができるためのスキルを今、日本語学習を通じて大いに学べばいい。

この仮説から私は、学生にこう訴えるようにしている。日本語を学ぶのは手段であって目的ではない。日本語を学ぶ目的は「他国の文化を学ぶことを通じて、相対的な観点を身に付けること」にある。相対的な観点を身に付ければ、自国の文化を客観的に見ることができる。すると、他の人ができない発想ができるようになるはずだ、と。

かつて雲南大学日本語科で、国際的に活躍するホテルインテリアデザイナーの深津泰彦さんを呼んで講演してもらったことがある。講演で深津さんは、日本と中国のセンスの違いから生じる衝突を例に、中国のデザイン業務の大変さと面白さを分かりやすく説明した。

この講演で強く印象に残っているのは、色を使ったたとえ話である。

中国人は派手な色、たとえば「金色」が好きだ。一方、日本人は地味な色、たとえば「銀色」が好きである。そのような志向の違いから生じる矛盾の中で、デザイナーはどう仕事していくのか。

つまり中国でインテリアデザインをする場合、中国人は金色が好きだからと金色のデザインをするべきだろうか。それとも、デザイナーは日本人なのだからやはり銀色のデザインをするべきなのか、という問いかけである。

もし金色のデザインをするというのなら、そのデザインに慣れている当地のデザイナーにはかなわないだろう。日本人がデザインする意味がなくなってしまう。逆に、銀色のデザインをするとどうか。銀色は中国では好まれないのだからこれもダメである。では、どうするべきか。

優れたデザイナーなら、第三の道を選ぶ。つまり両者が共に納得する色、たとえば「シャンペン色」を提案するのだ。

このたとえ話を踏まえ深津さんは、「異文化間で仕事をしていると、従来になかったものが生まれる可能性が高い。大変なこともあるし、喧嘩したりすることもあるが、とてもエキサイティング。君たちも日本語を勉強して、日本文化を学んで、第三の視点を身に付け、面白い仕事ができるようになってください」と講演を結んだ。

以上のような深津さんの話を紹介しながら、日本語を勉強するのは手段であって目的ではない、中日両国の文化を相対的に眺めながら、第三の観点を生み出すことが目的だと、私は学生に強調している。

学生たちに言う。たとえば君が将来、カップラーメンの会社に就職したとしよう。カップラーメンで有名な中国の会社に「康師傅」や「統一」がある。君は「康師傅」に入社した。会社で働くようになれば分かるが、一つの集団にいると、社員はみんな同じ発想になりがちである。ある問題に対して、誰もが「A」と考えている。一方「統一」でも、誰もが「B」と考えている。その中で君は、「康師傅」と「統一」の社員の中で一人だけ「C」と考えることができる。そんな君を、経営者はどう思うだろうか。きっと「逸材だ!」と思うはずだ。

ちなみに、深津さんの講演の 2 年後にアップルの iPhone5s が発売された。

このときカラーバリエーションにゴールドが加わったが、この色は中国市場向けに作られたのだと噂された。実物を見た私は、「なるほど、金色じゃなくてシャンペン色だ」と思った。

デザインの知見から日本語教育を考える

学生の日本語学習意欲を高めるため、私はさらに他の考え方も伝えている。私は現在、インテリアデザインの仕事にも携わっている。そこから得た知見に基づいた考え方だ。

日本人である私にとって、雲南でデザインの仕事をすることもまた、雲南大学で教鞭を執るのと同様に非常にやりがいのあることであり、光栄なことだと感じている。

日本にとって、中国はとても大きな存在である。儒教をはじめとする思想的なものだけでなく、美術、建築、音楽など、あらゆる面で日本は中国から学んできた。中原を発信地とする中華文明の外側にある「化外之地」だった日本にとって、中国は先進文明を持つ、輝く存在だったのだ。

自ら文明を創り出す人々は、時代に合わせてその文明を刷新していく。ところが化外之地·日本では、古来に伝わった中国文化を、大事に保存し続けてきた。パソコンでいえば中国は OS であり、日本はハードディスクなのだ。たとえば、「漢」という文字は現代の中国では han と発音するが、日本では kanと発音する。実は kan という音は、古代中国における「漢」の発音と近い。日本は千年以上前に学んだ発音を、現在も保持しているわけだ。

またたとえば、日本では礼儀を重んじ、常にお辞儀をする習慣がある。これもまた、礼儀の国である中国の伝統を忠実に守っているからである。

最近中国では、お茶を飲むときに日本の「南部鉄瓶」を用いる人が(特に中国文化を愛する人の中で)多くなっている。これは日本の伝統の中に、中国の良好な伝統文化を見出しているからだと思われる。

中華文明において、日本はしょせん「化外之地」だった。しかし、現在の中国が極めて近代的な発展を遂げる中、中国の古き良き伝統は、むしろ「化外之地」(日本以外にも、朝鮮半島、台湾、香港、ベトナムなどが挙げられるだろう)に多く保存されている可能性がある。そして同様に雲南省もまた、中華文明においては「化外之地」であり、中華文明の良き伝統がたくさん残されている。雲南には、今こそ古来中国の伝統を現代に復活させる役割があると感じる。

昆明の地を踏んで感じたのは、故郷のような懐かしさだった。この地の伝統と風俗、それから照葉樹林に囲まれた大自然が、そう思わせるのかもしれない。

日本文化を照葉樹林文化と呼ぶことがある。日本のアニメ作家、宮崎駿が「となりのトトロ」や「もののけ姫」などで描いた世界は、この照葉樹林文化の影響が濃厚なものとなっているが、そこで描かれるのはまさに、日本人が懐かしく思う自然の姿である。照葉樹林にあふれる雲南の自然が、私にとっても懐かしく感じるのは当然のことなのだ。伝統や風俗、また人々の気質なども共感するものが多くあった。食べ物ですら、日本の食べ物である納豆·こんにゃく·甘酒など、似たものがあるのにも驚いた。

雲南に残された良好な伝統や風俗、自然が、同じ「化外之地」に住む日本人によって表現されたら、これまでにない豊かな空間が生まれるかもしれない——そんな思いが、雲南でデザインするにあたっての主要エンジンとなっている。

洗練された現代中国文化の発信者になれ

以上の知見を踏まえ、文化的なものが好きな学生を対象として、日本語学習のモチベーションを高めるために「君たちは、中国の洗練された文化を世界に発信していくべきだ」と言うこともある。「今は周辺諸国にバックアップされている過去の中国文化を学ぶ段階。つまり日本の文化を学ぶ段階にある。しかし今後はそれを洗練化させ、世界に発信させるべきだ。自国の文化の発展のために、ぜひ日本文化を学んで欲しい。そのためには、基本となる日本語をしっかり学ばないとダメだ」と。さらには、以下のように説明していく。

たとえば「道(dao)」という中国語がある。広義的で形而上学的な言葉だ。一方、日本語の「道(dou, michi)」はもっと小さな概念であり、実利的である。これは中国の文化を矮小化したと言えるが、一方では洗練化したとも言えるかもしれない。「茶道」は中国にも日本にもあるが、「ラーメン道」、「マンガ道」などは、中国人から見れば苦笑ものだろう。

どうして日本ではラーメンやマンガなどに「道」を付ける人がいるのか。おそらく、日本の中国文化の受容と関係がある。古代の日本を想像してほしい。中国から器が伝わったとしよう。それを見た日本人はどう思ったか。「すごい! 美しい!」と思ったはずである。次に「どうやって作ったのだろう?

彼らの美意識はどこから?」と考えたはずである。その答えは、当時先生がいなかったため、自分で考えるしかなかった。それについて独自に追求していくと、次第に抽象化され、洗練化されていく。日本人は、そんな思考態度が身に付いていたのではないか。

日本では学ぶべき師匠が存在しなかったことから、自分自身で追及するしかなかった。そして自分の弟子に対しても「盗んで覚えよ」と言った――。そのような態度で追及すると、やがて物事の本質が見えるようになる。それはラーメンだけの本質ではない。全ての本質である。それに気づいた人々が、それを「道」と名付けるようになったのではないか。

ちなみに「荘子·秋水」に「井の中の蛙、大海を知らず」という言葉が出てくる。荘子の言葉はこれだけだが、日本ではその後ろに「されど、空の青さを知る」という言葉を付け足した人がいる。要するに「全ての道はローマに通ず」という意味だ。ラーメンにせよ、マンガにせよ、その専門を極めれば、最終的には人生の本質を知ることができるということだ。

そう考えると、日本人は中国語の「道(dao)」という概念を、日本人なりに普遍化、洗練化したのだとも捉えられる。そのようなものを日本文化の中から見出し、再度中国文化として洗練させていくのが、中国の将来を担う君たちの役割ではないだろうか――。

いずれもこじつけではある。しかしこれを聞いた日本語を勉強したくない学生の中には「仕方ないな、やってみるか」と思ってくれる人も少なくなかった。どんな屁理屈であれ、それによって日本語学習のモチベーションが高まる人が出てくれば私の勝ちである。

教えることで、学ぶ

多くの教師がそうであるように、私もまた、教えることで逆に学ぶことが少なくない。私にとって、それはたとえば論文の書き方だった。私は修士論文を書いたことがあるが、論文とはなにかを明確に理解したのは、雲南大学に来てからである。

今から 10 年以上前の大学院時代は、論文の書き方がよくわからず、やみくもに書いている状況だった。

ある日、恥を忍んで指導教官に尋ねた。

「あのう、論文って、いったいどう書けばいいんでしょうか?」私の言葉に一瞬キョトンとなったが、その後指導教官は笑い出した。「バカだな、お前。そんなこともわからないのか」。

私は、恥ずかしい質問だとは自覚しているのだが、本当によく分からないので必死だった。

「はい。いろいろ考えてはいるんですが、イマイチよくつかめません」。

すると指導教官は親指を胸に当てて言った。「それはな、お前。心で書くんだよ、心で」。それを聞いてキョトンとなった。

「心で書けば、読んでいる人間に通じるもんだ」。

今考えれば、かなりハイレベルの学生向けの回答だったことが分かる。しかし当時の私は、抽象的なアドバイスを文字通り受け取り、とにかく精

魂を込めて書き上げるしかなかった。そしてその論文をかかえて、小さな学会で発表することになった。

論文の査読者は、私の論文を見て冷淡に言った。

「あなたの文章はエッセイですね。論文ではありません」。心を込めて描いたのに……、と涙目でその言葉を聞いた。

大きく肩を落としている私を見た査読者は、「確かに、エッセイとしては面白いですけど」と付け加えた。

それから時が経ち、私は雲南大学で日本語学科の学生に対し、卒業論文の指導をする立場になった。論文の書き方が分からない人間が論文の指導をするのもひどい話だが、ともあれ、数多くの学生の論文を読んでいるうち、あることに気付いた。

彼らが提出してきた論文には、論文らしい文章と、論文らしくない文章に分けられることに気付いたのである。どうしてこれらの文章は論文らしく感じ、そして、どうして他の文章は論文らしく感じないのだろうか。両者を比較するうち、やっと論文とは何かが見えてきた。

論文らしい論文にあって、論文らしくない論文にないもの。

それこそが、かつて私が知りたかった「論文とは何か」の答えだった。それは一言でいえば「?」(クエスチョン)、つまり why や how があるか否かである。学生たちの書いた論文で、論文らしい論文には必ず「?」があった。逆に、それがない論文は、エッセイあるいはレポート、報告書のようだった。論文らしい論文にはクエスチョンがあり、そしてクエスチョンに対する自分の回答がある。さらに、その理由が説得的に記されていたのだった。

これをもう少し詳しく説明すると、以下のようになる。

● クエスチョンが生まれた理由(背景)

● クエスチョン(問題提起)

● 自分の考え(仮説)

● そう考える理由(根拠)

● 自分の考えとは異なる意見とその反論(反対意見への反論)

● 自分の考え(結論)

また、重要なものをもうひとつ付け加えると、クエスチョン(問題提起)

には「意義」が必要だ。たとえば、以下のような内容の論文はどうだろうか。

クラスのマドンナである周さんが、ダメ男として有名な王君と付き合っているという噂がある(背景)。本当に二人は付き合っているのだろうか(問題提起)。私は、二人は付き合っていないと思う(仮説)。なぜなら、王君はカッコ悪いし(根拠1)、頭も悪いし(根拠2)、お金もない(根拠3)からである。確かに、王さんは性格がいいという意見もある(反対意見)。しかし周さんはお金がすべてだと常日頃言っているから(反対意見への反論)、やっぱり二人は付き合っていないと思う(結論)。

構造的には論文らしいものになっている。しかしクエスチョンに「意義」があるとは言えないため、論文としては成立しにくいのである。

以上の話をまとめると、論文に必要なのは第一にクエスチョン。第二に意義があること、となる。

余談となるが、学術論文では「先行研究を前提にする」という必要も出てくる。先行研究を前提に論文を書く際の具体的な作業は、多くの場合、

1.テーマに関する先行研究を整理する

2.そのうち、自分のテーマに最も近い研究をピックアップする

3.ピックアップした研究から、評価できる点と、不足点·問題点を見つける

4.不足点·問題点を補う方法、または解決する方法を考える5.以上をまとめるという流れになる。

論文は論理的な思考の訓練といえる。これはイノベーティブなものを作り出すためには欠かせないスキルだ。なぜなら、新しいものを作る際には、様々な人の協力が必要となる。人々に協力してもらうためには、自分の考えを多くの人に共感してもらう必要がある。そのためには説得力のある説明が欠かせないからだ。

このように私は、「日本語学習」というプラットフォームを通じて、日本語や日本文化を学ばせると同時に、今後中国で必要とされるイノベーティブな人材になるための訓練に努めている。

以上、雲南大学に対する感想を述べると共に、私が雲南大学の授業で学生たちに伝えていることの一部を紹介してきた。良好な資源を持ち、優秀な学生が集まり、優秀な教師や事務職員が集まり、自主自立の校風を持つ雲南大学は、今後国家から求められる人材を次々と輩出することだろう。「会泽百家、至公天下」という建学方針を持つ雲南大学は、その理念の下、さらなる飛躍が期待できる大学だと思う。

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